“無名”FW食野、スコットランドで驚きの“王様”デビュー 知日家コーチ「年間15点」を確信
G大阪からマンC移籍の食野 レンタル先ハーツでのデビュー戦を現地日本人記者が取材
8月31日、食野亮太郎がスコットランドでその秘密のベールを脱いだ。
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A代表どころかユースの代表歴もなく、突如としてプレミアリーグ王者マンチェスター・シティに見出された弱冠21歳の日本人FW。シンデレラストーリーそのものだが、そのデビューはまさに規格外で、驚きの連続だった。
話はデビュー前日の8月30日に遡る。この日、食野の入団会見がレンタル先であるスコットランド1部ハート・オブ・ミドロシアン(以下ハーツ)の本拠地、タインカッスル・スタジアムで行われた。
当初、入団会見は29日の午後2時開始の予定だった。しかし、日本での労働許可証の発給が遅れ、1日ずれ込んだ。食野の現地到着は30日の午前9時45分。ハーツの地元となるスコットランド首都のエディンバラ空港に降り立った。そして午後4時、ついに会見場にその勇姿を見せたのである。
「上海からこっちに来るフライトが12時間くらいだったんですけど、そのうち10時間くらい寝ていました。起きたら、ロンドンもうすぐみたいな感じでした」
日本から3本の飛行機を乗り継いだ長旅の直後で、「疲れや時差ボケはないか?」と聞いたら、元気な若者らしい答えが返ってきた。しかも着いてすぐ、練習に参加したという。
オランダからも含め、複数のオファーがあったというが、レンタル先にハーツを選んだのは「自分を単なる戦力としてだけでなく、(監督が)選手としての成長もしっかり手助けしてくれるということも言ってくれた」という。そして希望のポジションについて尋ねると、「どこと言われればトップ下がやりたいです」と話して顔を輝かせた。
また英国人記者に「自分はどんな選手に似たタイプだと思うか?」と聞かれ、「アザール、メッシ」ときっぱり。通訳を務めた日本人関係者が「あくまで目標として」と慌てて付け加えたが、隣に座った食野の顔には”いつかはきっとそのくらいの選手になってマンチェスター・シティで活躍してやる”という、向こうっ気の強さが浮かんでいた。
森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。