37歳元Jリーガーの“監督人生” 指導現場で実感、ライセンス制度の在り方へ思うこと
【ティアモ枚方・小川佳純監督インタビュー後編】現役最後の3年で強まった指導者的な視点
2020年、13年間のプロサッカー選手生活に区切りを付けると同時に、指導者としての道を歩み始めた小川佳純。名古屋グランパスでの得難い10年間で多くのインプットを果たし、振り返ればそれがその後のキャリアに大きく影響を及ぼしていたのは本人ですら意識していないことだった。
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2019年にアルビレックス新潟から契約満了を告げられ、現役続行だけが選択肢でなくなっていたのは彼らしいと言えば彼らしくもある。小川は思った。「もう一度タイトルを獲りたい」。それは自分が選手としてだけではなく、クラブの一員としてもう一度味わいたい感覚だったという。そのためにまず当時は関西社会人リーグに所属していたティアモ枚方からの監督のオファーを受けた小川にとって、初めての監督業はすべてが新鮮で、苦労も楽しさにしか感じない日々が待っていた。(取材・文=今井雄一朗)
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その時は何も意識していなくとも、あとから見れば運命的だったということはよくあることだ。有り体に言えば出会いや別れ、偶然の出来事や時にはアクシデントにもそういう意味が含まれていることがある。2016年、名古屋がクラブ史上初のJ2降格という憂き目に遭うなか、小川は契約満了をチームから告げられる。
当時の取材メモを読み返してみると、ショックはないが、「現役に対する執着心はない。もし現役以外に自分を駆り立てる何かがあったら、すぐ辞めちゃうかもしれない」と口にしている。結果的には現在名古屋を率いるマッシモ・フィッカデンティ監督が率いていたサガン鳥栖への移籍が決まるわけだが、思えばこの時から小川の視界には何か拡がるものがあったわけだ。
鳥栖では2017年から半年を戦い、夏に新潟へ期限付きで移籍。新潟にはその翌年に完全移籍となり、2年半を戦った。この3年間を小川は「選手とコーチの間ぐらいの、勝手にそういう立ち位置だと思ってやっていた」と言う。クラブからの要請があったわけでも、監督から「若手にアドバイスしてやってくれ」と言われたわけでもなく、プロ10年を戦ってきた32歳のベテランとして、それは自然と湧いてきた感情と行動だった。
ミーティングがあればその内容を解きほぐして聞かせたり、求められるプレーをするためにはこんなことが必要じゃないかと教えたり。それはまるで自分が新人の頃に出会った監督やコーチがしてくれたことを、後の世代につないでいくような作業でもあった。細かい負傷も増えた現役最終年にはその行動に「引退」の気持ちが重なり、なおのこと指導者的な視点が強まっていたとも言う。
今井雄一朗
いまい・ゆういちろう/1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。Jリーグの名古屋グランパスや愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする。現在はタグマ!にて『赤鯱新報』(名古屋グランパス応援メディア)を運営し、”現場発”の情報を元にしたコンテンツを届けている。