37歳元Jリーガーの“監督人生” 指導現場で実感、ライセンス制度の在り方へ思うこと

17年8月から2年半を新潟で過ごし、現役生活に別れを告げた【写真:Getty Images】
17年8月から2年半を新潟で過ごし、現役生活に別れを告げた【写真:Getty Images】

アンジェ・ポステコグルー監督の戦い方を目にして「サッカーに興味を持った」

 そして小川は運命の“出会い”を果たす。2018年、横浜F・マリノスにアンジェ・ポステコグルー監督が就任し、ジョゼップ・グアルディオラ監督率いるマンチェスター・シティと同様のチームスタイルに方針転換。いわゆる“偽サイドバック”に代表される欧州トップレベルの戦い方を目にした小川の知識欲に火が点いた。

「すごくサッカーに興味を持った、ひとつのきっかけでした。Jリーグの他のチームもそうだし、それこそ海外リーグの試合なんてまったく見るタイプではなかったんですが、何か面白いサッカーをするなと。そこから、シティとマリノスのサッカーを毎試合見るようになったんです。自分でもノートにポジションを書いてみて、相手がこういう守り方をしていて、何でサイドバックがここにいたら良いのかとか考えだしたらどんどん楽しくなっていって。

 新潟での練習試合で『サイドバック、ちょっと中入ってこい』とかやり始めちゃって(笑)。監督からしたら、『なにを勝手にやってんの?』って感じだったかもしれないですね。そんな勝手なチャレンジも実はしていて、上手くいくと『なるほどな』とか思って。実際にティアモから話をもらった時に『面白いな』って思い始めたことを監督としてやりたいって思ったのは確かです。そう思うと、その頃から監督になる意識は始まっていたのかもしれないですね」

 サッカーノートをつけるようなタイプではなかったが、自分で興味を持ったからには自然と戦術メモは増えていった。同時にチームそのものの運営についてもアイデアは湧くように浮かび、「例えば、勝利給みたいに“無失点給”を作れば、守備陣たちのモチベーションも上がる」と、楽しむだけでは済まさなかったところに彼の本気度が垣間見える。

 ティアモ枚方からは選手としてのオファーもあったが、名古屋時代の盟友である巻佑樹GMから「監督興味ない?笑」というメッセージが届いた時、「それは興味ありまくり」と即答したのも、その場の勢いではなかった。思えば2010年に名古屋で経験したリーグ優勝も、小川にとってはほとんどが途中出場だったシーズンで、主体的に勝ち取った感覚はなかった。

 自分の手でJリーグのタイトルを手にしたい、という強い想いの源は、そうした経験から来るものかもしれない。残念ながら、現役時代にそれを達成することはできなかった。だからこそ監督としてのタイトル獲得には肩の力も入るし、楽しさも苦しさより勝る。

「この1年はすごく新鮮で、楽しかったです。選手時代は毎日練習場に行って、トレーニングをして帰る日々が続いて、週末には公式戦や練習試合があって、オフを迎える。ずっと同じことの繰り返しです。

 それが監督になった瞬間、まったく違った世界になるわけです。最初は苦労も、難しさも感じましたけど、とにかく選手たちが楽しんでサッカーができるような練習をオーガナイズするようにしました。僕は現役時代から練習が好きだったので、ティアモの選手たちにも『この練習は面白い』と思ってもらって、そこから成長につながっていくようなトレーニングをしたいですし、面白くて攻撃的なサッカーをしたい。

 トライ&エラーですね。何で上手くいかなかったのか、選手の技術的なミスなのか、自分の指導力不足なのか。いろいろと考えて検証して、またトレーニングをして、試合をして……。そういう作業は向いていたのかも、と勝手に思っています(笑)。それが楽しいなと思ってやっているので」

今井雄一朗

いまい・ゆういちろう/1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。Jリーグの名古屋グランパスや愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする。現在はタグマ!にて『赤鯱新報』(名古屋グランパス応援メディア)を運営し、”現場発”の情報を元にしたコンテンツを届けている。

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