「このままじゃダメだと…」 FC東京MF東慶悟、紆余曲折の7年を経て描く“10番像”

FC東京で「背番号10」を背負うMF東慶悟【写真:荒川祐史】
FC東京で「背番号10」を背負うMF東慶悟【写真:荒川祐史】

今季から新主将に就任、2012年ロンドン五輪以来となる背番号10を継承

 2012年、サッカーの母国で開催されたロンドン五輪で、男子サッカー日本代表は、下馬評を覆して快進撃を続けた。惜しくも3位決定戦で韓国に敗れて銅メダルは逃したが、1968年メキシコ五輪以来となる44年ぶりの準決勝進出を果たした。その代表で「背番号10」を背負ったのが、FC東京のMF東慶悟だった。派手さはないが、堅実で泥臭くチームのために戦う10番は、攻撃の起点としてチームの快挙に貢献した。

 しかし、その2年後のブラジル・ワールドカップ(W杯)も、そして昨夏のロシアW杯の日本代表メンバーリストの中にも、その名が挙がることはなかった。ロンドン五輪で得られた達成感が、どこかで成長の足かせとなってしまっていた。A代表の候補合宿や、W杯予選に単発で招集されたこともあったが、いまだ代表キャップ数は「0」のままだ。

 本人の言葉を借りれば、「トントン拍子」のキャリアだった。2009年、大分トリニータでのプロ1年目から数多くの試合に出場し、五輪ではメダルまであと一歩と迫った。ただ、「知らず知らずのうちに、(クラブで)試合に出ることが当たり前になっていた」と口にする。淡々と過ぎ行く日々は、いつしか東の心に隙間を作っていった。

「どこかで向上心が薄れていたのかもしれない。口では満足していないと言っていたけれど、どこかで満足していた。オリンピックにも出て、今思えばそれに満足してしまっていた」

 緊迫した試合中は、負けず嫌いの顔が現れた。だが、普段の練習になると、どこか気乗りしない日もあった。練習開始の1時間前にクラブハウスに顔を出し、日々のために万全の準備を施す仲間の存在も知っていた。だが、過程よりも結果。それがプロの世界だと信じて疑わず、「試合で100%を出せればいい。オレにはオレのやり方がある」と、目を逸らしてきた。

 そんな燻る才能に、転機が訪れる。14年8月に右太ももの筋挫傷を負った。全治6~8週間の診断結果が下る。プロ入り後初の長期離脱となった。出て当たり前だったはずの試合がずいぶんと遠くに感じた。負傷から2カ月、予定通りに復帰はしたものの、定位置を奪われた残りのシーズンは途中出場を繰り返した。「このままじゃダメだと思っていた」矢先に、当時のコーチ、ブルーノ・コンカに呼び止められた。

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