“銀河系レアル”のスターから前例なき挑戦へ 貴公子ベッカムが放ったサッカーへの情熱

2006年のドイツ大会は、ベッカムにとって最後のW杯となった【写真:Getty Images】
2006年のドイツ大会は、ベッカムにとって最後のW杯となった【写真:Getty Images】

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 2002年の日韓ワールドカップ(W杯)を終えたデイビッド・ベッカムは、再びマンチェスター・ユナイテッドでの日常に戻っていった。しかし、プロサッカー選手ベッカムとして“育ての親”とも言える名将アレックス・ファーガソン監督との関係は悪化の一途を辿る。そして、世界中を驚かせた事件が2003年に起こった。

 2月15日、ユナイテッドはアーセナルに敗れてFAカップから敗退した。この時、敗戦に激怒したファーガソン監督は、ロッカールームでスパイクを蹴り上げる。すると、その軌道上にあったのはベッカムの顔だった。目の上を直撃し、縫合が必要な負傷となるほどの事件を、密室の中の出来事として隠すことができるはずもない。シーズン終了に向け、ベッカムかファーガソン監督のどちらかがユナイテッドを去るというのは、予定されたシナリオであるかのようになっていった。

 結局、クラブを去ることになったのはベッカムだった。この時、スペインの強豪バルセロナは会長選に立候補する際の公約にベッカム獲得を掲げたジョアン・ラポルタが当選し、ユナイテッドもバルセロナ行きを望んだ。しかしベッカムが新天地に選んだのは、よりにもよって永遠のライバルであるレアル・マドリードだった。代名詞だった背番号「7」はクラブの主将であるラウール・ゴンザレスのものであったため、彼の背中には「23」の数字があった。ポジションも、ジネディーヌ・ジダンなど名手と並び立つ中盤のセンターハーフとなり、ユナイテッド時代のイメージは限りなく小さくなっていく。

 その間もイングランド代表ではキャプテンを務め、06年ドイツW杯にも出場する。初戦のエクアドル戦で鮮やかなFKを決めて、3大会連続スコアラーとして名前を刻んだが、その後は苦い思い出だけが残った。決勝トーナメント1回戦での試合中に体調不良を起こし、試合中に嘔吐。さらに準々決勝では負傷交代に追い込まれ、チームは延長戦の末にポルトガルに敗れた。結果的に、これがベッカムにとって最後のW杯となった。

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