元Jリーガーから史上2人目のJ担当主審へ 現役時代に考え続けたプロサッカー選手のあるべき姿

J2通算159試合出場の経験を持つ御厨貴文【写真:Getty Images】
J2通算159試合出場の経験を持つ御厨貴文【写真:Getty Images】

【元プロサッカー選手の転身録】御厨貴文(元甲府、草津、富山)前編:元Jリーガーとして史上2人目のJ担当主審になった訳

 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。(取材・文=河合拓)

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 今回の「転身録」は、ヴァンフォーレ甲府、ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)、カターレ富山を渡り歩き、J2で通算159試合に出場したのち、審判員としてJリーグの舞台に戻ってきた御厨貴文(38歳)だ。スピード豊かなDFとして活躍し、ピッチ内外の模範的行動から草津と富山ではチームのキャプテンも任された男が、嫌いな言葉として「ファンサービス」を挙げた理由とは――。

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 2022年1月10日、第100回全国高校サッカー選手権大会の決勝が、国立競技場で行われた。青森山田高が4-0と大津高を圧倒した一戦では、キックオフ前から主審に注目が集まっていた。今回の主人公は、その主審を務めた御厨貴文。ヴァンフォーレ甲府、ザスパ草津、カターレ富山の3クラブでプロサッカー選手として活躍した男が、セカンドキャリアに選んだのは、プロのサッカーレフェリーだった。

「選手を引退して、次の仕事としてレフェリーを目指すと言ったら、周囲からは『お前、変わっているね』と言われました」と、御厨は苦笑する。

 Jリーグのピッチに立つ審判員のほとんどは、サッカーのプレー経験を有しているが、学生のうち、あるいは社会人になった早い段階で選手を引退して、審判員として活動をする。プロのサッカー選手まで上り詰めてから、転身した例は御厨と、2006年にJ2の愛媛FCでプレーした経験のある大坪博和の2例しかない。そんな稀少な道を歩む御厨は、どのようなキャリアを送ってきたのか。

 3歳の時から兄も習っていた剣道をしていた御厨が、サッカーを始めたのは小学校3年生の時だった。通っていた長崎の南陽小の課外クラブは、男子がサッカークラブ、女子はバレークラブの2つであり、仲のいい友だちと一緒に入部した。サンフレッチェ広島に加入したDF路木龍二、MF大久保誠らも輩出したサッカークラブで、16時から2時間練習。そこから車で母が迎えに来て、移動中の車内で食事を済ませて、剣道の練習へ向う生活がスタートする。

 友達と一緒に過ごすための手段として始めたサッカーだったが、御厨は徐々にその魅力にハマっていく。中学生でサッカーか、剣道の選択を迫られると、「単純に楽しかった」という理由でサッカーを選択。高校は長崎海星高校に進学する。当時の長崎は国見の一強状態であり、全国大会出場は果たせなかった。御厨と同い年の国見には、MF渡邉大剛、MF柴崎晃誠、DF園田拓也、DF松橋優、FW巻祐樹という錚々たる顔ぶれが揃っていた。

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