元Jリーガーから史上2人目のJ担当主審へ 現役時代に考え続けたプロサッカー選手のあるべき姿

御厨は「プロ選手としての在り方」を熟考した【写真:Getty Images】
御厨は「プロ選手としての在り方」を熟考した【写真:Getty Images】

嫌いな言葉に「ファンサービス」を挙げる理由は?

 プロのキャリアで、最も印象に残っているのは初の公式戦出場となった2007年の天皇杯5回戦の鹿島アントラーズ戦(延長戦1-2)だという。その試合、先発に抜擢された御厨は、当時のキャプテンだったMF石原克哉に「ミク、試合で一番キツい時が来たら言えよ」と、声をかけてもらったという。

「すごく気を使ってもらったのですが、実際に試合でピークが来たので『カツさん、ピークです』と言ったら、『おまえ、早すぎだよ!』って言われました。まだ前半20分だったんですよね(笑)。そこから延長の最後まで出場しましたが、心拍数は高かったと思います。余裕がなく、抜きどころも分からなかったので、常にフルパワーでしたからね」

 サッカー選手と言えば、ピッチ内のプレーが最も注目を集める。御厨もプレーを向上させることを意識していたが、同時にピッチ外でどういう振る舞いが求められているのかも、常に考えていたという。

「プロサッカー選手として、誰からお金をもらっているのかは考えました。学生からプロになっても、同じサッカーをやることに変わりはありません。でも、それまではお金を払ってサッカーしていたのに、ある日、突然、契約を結んだら、お金をもらえるようになる。それがプロになって最初の頃は不思議でしたね」

 お金を払ってくれているのが、ファンであり、スポンサーであることに気づいた御厨には、嫌いな言葉がある。「ファンサービス」だ。

「サービスではないんですよね。サービスと言うと、『してあげる』というイメージですが、サッカー選手がやらなければいけない仕事だと思っていました。週末にホームゲームのチケットを買ってくれるお客様に対して、練習場などでの振る舞いでクラブに入ってくる収益も違ってきます。『お金を払ってでも、この選手を見に行きたい』『このチームを応援したい』。そう思ってもらうことは、職業としてサッカーをやり続けるためには、必要なことです」

 草津や富山でキャプテンを務めていた御厨は、スポンサーパーティーに出る機会もあった。その時には必ず社長の名前を覚え、その会社がどういう仕事を、誰に対してしているのかまでも、頭に入れて参加していた。

「選手はスポンサーパーティーのゲストではありません。選手がホストであるべきだと思っていました。ただ『いつも、ありがとうございます』とだけ伝えるのと、『○○さん、いつも、ありがとうございます』と伝えるのでは、印象が違います。こうしたことも、プロサッカー選手として必要なことだと思っていました」

 主力選手としてピッチに立ち、ピッチ外でも若手の模範となる振る舞いを見せていた御厨だったが、まだクラブとの契約が残っていた30歳の時に現役を引退した。

(文中敬称略)

※後編へ続く

[プロフィール]
御厨貴文(みくりや・たかふみ)/1984年5月11日生まれ、長崎県出身。海星高―大阪体育大―甲府―草津(群馬)―富山。対人プレーと空中戦に長け、J2通算159試合7得点をマーク。2014年限りで現役引退後、会社員をしながら審判員の資格を取得し、19年には1級審判員へ。これまでJ1通算6試合、J2通算22試合、J3通算17試合、リーグカップ4試合を主審として担当。副審もJ3で通算13試合を務めている。

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