将来嘱望のJリーガー、27歳で引退→俳優に転向 「1億円稼げる」と言われ奮闘も…異例のキャリアを辿った理由

坪井慶介からの言葉「今日、やれることを100%」で奮起

 J1で輝く好機を思わぬ形で逃し、青山は腐っていた。しかし、元日本代表DF坪井慶介の言葉で目が覚めたという。

「僕も坪井さんもベンチ外の日々が続いている中、坪井さんは黙々と練習していました。元日本代表でW杯にも出場した選手が、僕ら若手と真夏に全力で走っている。僕は試合に出られずに文句を言ってばかりで、『なぜ、そこまでやれるんですか』と聞くと、坪井さんは『どんな状況でも今日、やれることを100%でやる。それがいつかのチャンスにつながる』と言ってくれました。この言葉はサッカーを辞めた今でも胸に刻んでいます」

 結局、浦和でのキャリアはリーグ1試合出場で終わり、翌12年は期限付きで徳島に移籍。13年には完全移籍となった。同年は33試合に出場。クラブにとって初めてのJ1昇格に貢献した。

「シーズン後、他クラブからもオファーがありましたが、J2からJ1に上がれたことで、残ることにしました。自分にとっては、『三度目の正直』のJ1にしたかったので、サッカー人として大きな1年になると思いでいました。試合に出ていなくても、ベストを尽くす。ベンチを外れたりもしましたが、坪井さんの言葉を思い出して、人一倍声を出しました。それでも、チームはJ2に降格。正直、『もう、徳島を離れよう』と思いましたが、クラブから契約更新の話をもらって、残ることにしました。1年、全力でやりきったので、燃えていた火が消えていた状態でしたが、また、新年になってキャンプになったらスイッチが入ると思っていました」

 15年シーズン。日程通りにキャンプインし、青山も参加した。だが、心身には異変が起きていた。

「全然、練習に気持ちが入らなくて、『これをやっている意味はなんなのか』と自問自答しながら、ボールを蹴っていました。宿舎でも熟睡できず、吐き気もありました。キャンプを終えて、練習場に向かう車の中で『今日は気持ちを入れる』と思っても入らない。練習後、コーチをつかまえて居残り練習をするのが自分のスタイルだったのに、マッサージもしないで帰るようになりました。一刻も早くグラウンドを離れたかったからです」

 それでも、ポジションを争っていた選手が負傷し、青山は開幕戦の愛媛FC戦から第5節のロアッソ熊本戦まで、DFとしてフル出場を果たした。

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