37歳元Jリーガー監督、指導実績“ゼロ”も辣腕 原石となった闘莉王からの金言

ティアモ枚方の小川佳純監督【写真提供:ティアモ枚方】
ティアモ枚方の小川佳純監督【写真提供:ティアモ枚方】

【ティアモ枚方・小川佳純監督インタビュー前編】外国人監督から学んだそれぞれの哲学

 10年を過ごした名古屋グランパスをはじめ、サガン鳥栖やアルビレックス新潟でも活躍した小川佳純が監督への転身を果たして早1年。指揮を執るティアモ枚方は就任初年度でのJFL昇格を果たし、今季はここまで3位(10月6日時点)とその強さを見せつけている。元Jリーガーの監督自体、今となっては珍しくないが、35歳で引退してすぐさま指揮官となった例はそれほど多くはない。知性派、頭脳派で鳴らしたクレバーなプレーヤーはなぜその道を選んだのか。背景を探るインタビューの前編では、監督業へのヒントというフィルターをかけて、13年間の現役時代を探っていく。(取材・文=今井雄一朗)

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 自分が現場で指揮を執るようになるまで、監督という職業に興味がなかったと小川佳純は笑った。全国制覇を果たした市立船橋高校時代は布啓一郎監督(当時)を「いかに怒らせないためにプレーしていた」ところもあったと言い、チームを率いる指揮官の役割を意識したのはプロになってからのほうがはっきりしている。

 2007年、プロの門を叩いた名古屋の監督はオランダ人のセフ・フェルフォーセン。当時はまだ少数派と言えた、今にして思えば“ポジショナルプレー”を基とするヨーロピアンスタイルに、“走ってナンボ”でプレーしてきた小川はまず、大きな衝撃を受けた。

「学生時代まではいっぱい動いて、いっぱい走ることが良いというイメージで、どれだけ走れるかにフォーカスしていたんです。でもプロになって最初のオランダ人監督の下で、ポジショニングを学びました。正しいポジションを取ることが一番大事、動きすぎるのは良くないことだと言われたのをすごく覚えています。正しいポジションを取ればそこで止まっていればいいんだと言われたのは、学生の頃からの自分の辞書にはまったくないことで。でもそれが理論的に適っているというか、理論的で納得できる自分がいたんですね。なるほど、と」

 プロ2年目からはドラガン・ストイコビッチ監督(現セルビア代表監督)が就任し、監督とはこうあるべきという姿、「チームが勝つためにどういう手段で、どういう戦術で、どういうやり方で勝つのか、その方向性を示す」という役割を目の当たりにし、それはそのまま現在の監督哲学に染みついている。

 京都サンガF.C.でも指揮を執ったボスコ・ジュロブスキーコーチ(FKグラフィチャル・ベオグラード監督)の緻密な戦術にも1年目の貯金が活き、すんなりと飲み込めた小川はその年、リーグ11得点11アシストをマークし新人王とベストイレブンをダブル受賞する大活躍をする。特徴的なサイドアタックと堅い守備を基調にするチームにあって、右サイドを主戦場とした背番号29は攻撃の牽引車のひとつだった。

「サイドに開けと言われたら、『タッチラインを踏むまで開け』と言われましたね。数メートルまで細かく言われて、プロ最初の7年間はヨーロッパの監督の下でポジショニングの重要性を学びました。この期間は僕のサッカー哲学というか、理想や大事だなと思う部分に非常に大きな影響を与えています。ボスコやピクシーの口癖は、アタッキングエリアに入ったら『フィニッシュ・バイ・クロス!』。

 アーリーでも何でもいいからクロスを上げろと言われました。(フローデ・)ヨンセンや(ジョシュア・)ケネディ、トゥーさん(田中マルクス闘莉王)もそうですけど、上げれば決めてくれる選手がチームにはいましたからね。そうやってチームのクロスが増える分、自分が中にいる側だった時にはその折り返しやセカンドボールを狙う。戦い方がハッキリしていたので、そのことで良い形でゴールも取れたんだと思います」

今井雄一朗

1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。Jリーグの名古屋グランパスや愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする。現在はタグマ!にて『赤鯱新報』(名古屋グランパス応援メディア)を運営し、”現場発”の情報を元にしたコンテンツを届けている。

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