本田、香川らが五輪で味わった“3戦全敗”の屈辱 「勝てる相手」と戦う初戦の難しさ

北京五輪に臨んだ日本代表の選手たち【写真:Getty Images】
北京五輪に臨んだ日本代表の選手たち【写真:Getty Images】

【五輪“初戦”の記憶】2008年北京大会「日本 0-1 アメリカ」…前半の決定機を生かせず主導権を握りながら敗戦

1996年アトランタ大会

2012年ロンドン大会

 五輪の歴史を振り返ると、日本は初戦で何度も優勝候補と対戦してきた。FIFAランキングをはじめ国際的な立ち位置を考えれば必然なのだが、逆にそれがいくつもの奇跡を呼び込んできた。

 1936年ベルリン大会ではスウェーデンに、1964年東京大会でもアルゼンチンに同じ3-2のスコアで逆転勝ちをした。また1996年アトランタ大会では、マイアミでドリームチームと呼ばれたブラジルを、2012年ロンドン大会でも2年前のワールドカップ(W杯)に続き、直前の欧州選手権も制したスペインを、それぞれ1-0で下している。

 ビッグトーナメントでは、初戦が大きなカギを握る。4つの勝利は、失うものがないチャレンジャーとして掴み取ったもので、最高のスタートを切ることができた。しかし反面、立場が変わり、勝たなければならない初戦に臨むのは難しい。2008年北京大会はまさにその典型で、グループリーグを突破するには、初戦の勝ち点3獲得が必須だった。

 北京五輪で、日本の初戦の相手はアメリカ。チームを率いる反町康治監督は「オーソドックスで勢いはあるが、分析してみても十分に勝てる相手」と踏んでいた。一方2戦目以降はナイジェリア、オランダとの対戦が控えていた。ナイジェリアは、この年代では屈指のタレントを揃え、1996年アトランタ五輪を制し、常に優勝候補に挙げられていた。またオランダは、日本の五輪代表の土台をなす選手たちがプレーした2005年のワールドユース(現・U-20W杯)で、圧倒的な力の差を見せつけていた。

 中国での開催なので、日本に地の利はあった。「高温多湿や時差は味方にしなければいけない」と反町も考えていた。しかしそれでも現地の状況は、想像を超えて劣悪だった。

 8月7日、アメリカとの初戦は、開会式に先駆けて天津で行われた。キックオフ時の気温は35~36度まで上昇し、芝の根つきも悪く、試合を重ねるたびに荒れ放題だった。日本が目指すハイテンポの連動を実現するのは難しかった。

 もともと北京世代は、大きな期待をかけられていたわけではない。またオーバーエイジも招集を試みたが、表面化しただけでも遠藤保仁が体調を崩し、大久保嘉人も故障を理由に見送ることになった。しかし地域予選を進めていく間に下の世代からの突き上げが顕著で、最終的に反町監督は在籍2年間で83人を招集している。競争は激化し、活動当初に比べれば大幅に顔ぶれも変わった。その点では上げ潮ムードで臨めた大会ではあった。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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