15歳で単身スペイン挑戦 “雑草魂”のゲームメーカー、無名から2部Bに辿り着けた理由

吉村は15歳で単身スペインへ渡った【写真:Ricardo Donezar Perez/Haro Deportivo】
吉村は15歳で単身スペインへ渡った【写真:Ricardo Donezar Perez/Haro Deportivo】

中学卒業と同時にスペインへ 反骨心を胸にマドリード州の街クラブで研鑽を積む

 ただ、FC多摩でもBチームとCチームを行ったり来たりする日々。試合には選手としてではなくアイシング担当やビデオ係として帯同し、紅白戦ではグラウンドの端でボールを蹴っていた。当時の監督からは「お前は上手いけど強くない」とフィジカル面の課題を指摘されるなど、「苦労した中学時代」と振り返る。ほぼ無名の存在と言っていい状況のなかで、なぜ中学卒業と同時にスペインに渡る決断に至ったのか。2010年の南アフリカ・ワールドカップで、スペイン代表が世界一に輝いたこともきっかけの一つだったという。

「中学時代、スタメンに選ばれるのは身長の高い子や足の速い子で、ほとんど試合には出られませんでした。それまでセレクションを経験してきたなかで、中学から高校、高校から大学に上がる時は、当然チーム内での立ち位置や、〇〇選抜のような経歴が見られる。自分は試合にまったく絡んでいなかったので、行ける高校も限られてくると、中学1年生の初期から気付いていました。そんな時にスペインがワールドカップで優勝するのを見て、比較的サイズが日本人に近くて、フィジカルではなくてサッカー自体が上手いスペインのスタイルに惹かれるものがあったし、『こっちのほうが自分には合っているかも』とテレビ越しに思ったんです。母親に最初に話をした時は、否定されましたけどね(笑)」

 当時はまだ15歳。FIFA(国際サッカー連盟)の未成年ルールにより、18歳まで公式戦に出場できないことを把握したうえでの単身スペイン行きは一見無謀なチャレンジにも見えるが、吉村本人は「不安というよりも楽しみしかなかった」と語る。それは「中学3年間で試合に出ていなかったので、試合に出られなくても成長できる」という、自分なりの信念からだった。

 ただマドリード州を拠点に、カニージャス、カラバンチェル、モラタラスと街クラブを転々とし、選手登録が可能になるまで3年待つ日々も決して順調だったわけではない。スペインにいた日本人に、「なんでスペインにいるの?」「意味がない」「試合にも出られないし、日本に帰れ」と容赦なく否定的な言葉を投げかけられたこともあった。自分に対する自信と、逆にやってやるという反骨心が吉村の原動力となった。

「18歳以上で試合に出ている日本人選手たちからも言われました。スペインを感じ、知っているからこその意見でもある。厳しかったけど、それが現実でもあったと思います。僕も正直、日本に帰ろうと思ったこともありました。でも、スペインのほうがきっと成長できると思ったし、見返してやりたいという気持ちもあったので残って挑戦するんだと決めました。あの苦しい3年間があるからこそ、今の自分があります」

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