人生を変えた一つの誤審「忘れることはない」 自ら申し出…32年の審判人生「辞めなくてよかった」

副審を務めた大塚晴弘氏は2025年限りで引退した
2025年も多くの選手が引退を表明した。クラブのリリースや選手個人のSNSの発表に切なさが募る日々が続く。一方で同じピッチに立っていた審判員は、トップレフェリーでも引退が大きく報じられることは例外中の例外となる。
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本当は報じられるべき一人が、2025年限りで手から旗を離すことになった副審の大塚晴弘。2025年Jリーグ担当審判員97人の中で、大塚は屈指の経験を持つ。J1リーグでの担当は3番目に多い。役割は違うものの、大塚以上のJ1担当試合数がある主審は飯田淳平、木村博之、山本雄大の3人だけということを考えると、大塚がどれだけ活躍してきたかというのが分かるだろう。
1975年4月11日生まれで、2007年に31歳で1級副審になると19年間ピッチに立ち続けてきた。1級審判員としての進路を選ぶとき「副審」を選び周囲に驚かれたが、「年齢と性格、能力、タイプを考えて」の決断が功を奏し、すぐに日本でも有数の副審になる。
だが審判員はその立場を手に入れて終わりではない。当然ながら審判員は年齢に関係なく、毎年行われる体力テストに合格しないと試合を担当することができない。大塚は50歳までその重圧をはね返してきた。
鍛え続けなければいけないのは肉体だけではない。ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)導入は、副審にそれまでの判断基準を180度転換させることを強いた。VAR導入前はオフサイドだと思ったら即座に旗を上げた。日本の副審が旗を上げた場合、その精度は96パーセントと言われている。そこまで高めてきた判断力をときに抑え付けなければいけない。
オフサイドだと思ってもそのままゴールチャンスになりそうなら、上がりそうになる腕をグッとこらえて走り続ける。プレーが続くうちにオフサイドだったかどうか自信が揺らぐこともある。そして一連のプレーが終わっても攻撃が実らなかったら旗を上げない場合もあり、自分の目が正しかったかどうか分からないまま試合が流れていく。
いつもJ1だけを担当しているのならいい。だが次の試合がJ2だった場合は、今度はしっかり旗を上げるように頭を切り替えなければいけない。
なによりVARは副審に対してより残酷な仕打ちを与える。主審ならば自分でオンフィールドレビューの画面を見て判断を変えることができる。ところが副審はラインの横に立ち、ひたすらVARの確認を待つだけ。そして覆されると、「あの副審が間違った」という視線にずっと晒されることになる。
選手と違って難しい場面で正しい判断をしても、称賛を浴びる栄光のときが訪れることはない。対して判断を間違うと、その評判はずっとレフェリーを苦しめることになる。
「百点満点と言える試合は1つもありません」
大塚は2016年1月、カタールで開催されたU-23アジア選手権の担当審判員に佐藤隆治とともに選ばれた。リオ五輪のアジア最終予選を兼ねた重要な大会の準々決勝、韓国vsヨルダンでのことだった。
大塚のサイドをヨルダンの選手がえぐってクロスを上げた。オーバーヘッドで合わせたシュートはゴール方向には飛ばなかったが、そこに別の選手が現れヘディングでゴールを決めた。
ここで大塚はヘディングシュートをした選手がオフサイドだったとして旗を上げた。そして、それはミスジャッジだった。
ヨルダンの選手がクロスを上げたあと、大塚はオフサイドラインに戻ろうとしたが間に合わなかった。そしてオーバーヘッドした選手を凝視するあまり、ヘディングした選手のポジションを見誤ってしまった。
結果としてヨルダンは0-1で敗れ、五輪出場の夢は叶わなかった。アジアサッカー連盟は試合の翌日、準決勝以降の審判員を発表したが、そこまで評価が高かった大塚は大会を去ることになった。
大塚はこの誤審に大きなショックを受け「チーム、レフェリー、日本サッカー協会(JFA)、に迷惑をかけてしまう」と悩んだ。そして帰国後、自分からJFAに国際審判員とJリーグの担当を外してくれるように申し出る。そのため2016年に担当したJ1リーグの試合は5試合に留まった。
なにより国際審判員を辞めたことはその後の人生に大きく影響した。というのも大塚はその時点までプロフェッショナルレフェリー(PR)だったのだ。PRでありつづけるためには国際審判員でなければならなかった。そのため大塚は2017年からPRを外れ、他に職を持ちながらJリーグのピッチにも立つことになった。
2017年はJ2・J3リーグだけを担当することにした。2018年、やっと気力が戻ってJ1リーグにも戻ってきたが、2025年、50歳を迎えるにあたってJ2リーグを担当し、そして年末に引退した。
今、大塚は兵庫県姫路市飾磨区加茂にあるカフェを経営している。全て有機で無添加の食材で「体も心も喜ぶ」食事を提供し、繁盛しているようだ。
五輪予選の誤審から4年後、大塚に話を聞く機会があった。それまで明るく話していた大塚が、旗を上げた場面になると言葉を詰まらせ目には涙を浮かべた。
引退を決めたあとに話を聞いても「あのときに辞めなくてよかった。ミスを忘れることはありませんが、人に経験を伝えて今後、減らすことができるようにしています」と言葉は重くなる。
それでも「審判生活に悔いはありません。19年間の1級審判員生活、19歳で審判になりましたから32年間の審判生活で、百点満点と言える試合は1試合もありませんでした。それは後輩に託します」と最後は明るく締めくくった。そして今でも毎日トレーニングしていることを明かしてくれた。
副審は、わずか1メートルにも及ばない腕の動き一つでその後の人生が大きく変わるほどの役割だ。心に傷を負い、アマチュアになってもなお9年、サッカーを支え続けてくれた人物の引退にあたり、その功績を忘れないように書きとどめておく。(文中敬称略)
(森雅史 / Masafumi Mori)

森 雅史
もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。

















