元日本代表が決断した引退「じゃあ、やめよう」 最後はJFLで…感じた「難しいかな」

西大伍「岩手という地で過ごしたことは、僕の人生にとってすごく貴重でした」
日本代表招集歴のある車屋紳太郎(川崎)、六反勇治(藤枝)らがユニフォームを脱いだ2025年。2011年と2019年に国際Aマッチ出場を記録した技巧派右サイドバック(SB)西大伍も20年間の長い現役キャリアに終止符を打った。
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北海道コンサドーレ札幌のアカデミーで育ち、札幌、アルビレックス新潟、鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸、浦和レッズ、いわてグルージャ盛岡の6クラブを渡り歩き、国内3大タイトルとAFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇を経験した38歳のテクニシャンは、「今までサッカーしかやってこなかったから、これからいろんなことをやりたい」と清々しい様子だ。
J1強豪からJFLまで4カテゴリーでプレーするという波乱万丈のサッカー人生を送った西に今回、単独インタビューを実施。プロ生活を振り返ってもらうと同時に、今後の展望を聞いた。(取材・文=元川悦子/全7回の1回目)
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「2023年途中にグルージャへ行ってからはJ3、JFLでのプレーでしたけど、最後の2年くらいは怪我で出られないことが今までより多く、チームとしても結果を出すことができなかった。筋肉系のトラブルが年齢なのかメンタルのせいなのか少し増えてきて、貢献できる機会は減ってしまいました。ただ、僕自身は単純な身体の動きに衰えは感じていなかったんですけどね。
そういうなか、引退を決めた一番の理由は、『本当の意味でのサッカーの楽しさを味わうのがここから先は難しいかな』と思ったことですね。環境とか自分の状態も含めてそう感じたから、『じゃあ、やめよう』という決断に至りました」
2026年1月初旬。故郷・札幌で年末年始を過ごした後、都内にやってきた西はキッパリとこう言った。2020年正月に神戸の天皇杯初優勝の原動力となり、2021年には浦和にいた選手が、JFLで現役を終えることになるとは、多くの人が想像していなかったに違いない。
「僕としては、浦和からの3年間くらいが経験値も含めてピークでできる時期かなと思っていたんです。でも浦和を出ることになった。古巣の札幌に戻っても思うような活躍ができなかった。運もなかったなと思います。
そのあとグルージャに行ったわけですけど、岩手という地で過ごしたことは、僕の人生にとってすごく貴重でした。サッカーをしていなければ岩手に住む機会はなかったと思いますからね。この先、サッカーに関わるかどうかはまだ分からないですけど、JFLという環境を体感できたのも大きかったと思います」
欲を言えば、いわてをJ3に復帰させてからユニフォームを脱ぐのが理想的ではあった。実際、2025年の彼らはそれだけの陣容が揃っていた。メンバーは西を筆頭に、小林祐希(タンピネス・ローヴァーズ)、藤本憲明(福山シティ)ら百戦錬磨の面々がズラリと並んでいたし、指揮を執った星川敬監督も実績ある指導者。チーム強化に携わった水野晃樹GMも高い基準を熟知していたからだ。
しかしながら、結果は9位。1年でのJ3復帰を目論んでいたが、現実はかなり厳しいものとなった。西もシーズン30試合中18試合に出場(うち先発16試合)。3月16日のホーム・レイラック滋賀戦ではゴールも奪ったが、難しい1年になったのは間違いない。
「JFLで戦ってみて、チームって本当に些細なところの積み重ねだなと痛感しました。会社や組織も一緒だと思うけど、そこにいる人たちの性格とか組み合わせ次第で結果や成果は大きく変わってくる。お互いをよく知り合って、細部まですり合わせていかないと、勝てる集団は作れない。人間性とかつながりが一番大事なんだなと再認識しましたね。
GMの晃樹くんは2024年まで一緒にプレーしていた仲間だし、何でも思ったことは言えましたけど、彼自身もチーム編成に携わるのが初めてで、すごく難しい作業だったんじゃないかなと感じます。
そういうなかでも自分自身は最後まで本気でやれた。怪我が治って最後の5試合はフルで試合に出ましたけど、『最後はちゃんとやりたいな』と思ったし、それだけの終わり方ができたのかなと。そこは自分自身、評価しているところですね」
ただ、鹿島時代の華々しい活躍を知っている人から見れば、「もう少し上のステージで派手な終わり方をしてほしかった」と願う人もいるだろう。実際、鹿島と札幌で共闘した1つ上の興梠慎三(浦和パートナー営業担当兼アカデミー・ロールモデルコーチ)は、浦和のACL制覇の原動力となり、J1で18年連続ゴールもマークするなど、晩年も強烈な爪痕を残してピッチを去っている。
「慎三くんみたいに、そんなタイミングのいい人はなかなかいないんじゃないですか(苦笑)。だから彼は12月の引退試合で僕にスピーチさせてくれたのかなと。そういう気配りは有難いですね。
やっぱり一番は人。僕は20年間プロ選手をやってきましたけど、本当にいろんな人に出会えたし、たくさんの人に支えられた。それを感じられただけでもすごく幸せです」
柔らかな笑みをのぞかせた西。そういう穏やかな気持ちになれたのであれば、この決断は正しかったのではないか。こうした境地に至るまで、西のキャリアは浮き沈みの連続だった。山あり谷ありの20年間を本人はどう振り返るのか。そこを深掘りしていくことにする。(第2回に続く)
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。




















