元日本代表の本音「もっと一緒にやりたかった」 あまりに早かった解任…共感した思考「探りたかった」

西大伍「相手がいるものだし、決まったポジションを守る必要はないかなと」
北海道コンサドーレ札幌、アルビレックス新潟、鹿島アントラーズの3クラブで13年のプロ生活を送った元日本代表の西大伍。30代の円熟期を迎え、次なる新天地として選んだのが、ヴィッセル神戸だった。(取材・文=元川悦子/全7回の5回目)
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神戸は2010年代半ばまでは“J1とJ2を行き来するエレベータークラブ”という印象が強かったが、2017年夏のルーカス・ポドルスキ、2018年夏のアンドレス・イニエスタ獲得からビッグネーム補強に舵を切り始める。2019年頭には、西と山口蛍(長崎)、ダビド・ビジャを補強。同年夏には酒井高徳とトーマス・フェルマーレンを獲得し、“スター軍団”と目されるようになったのだ。
「神戸は楽しかったですよ。アンドレスみたいなうまい選手と一緒にできて、2020年元日には天皇杯決勝で鹿島に勝ってタイトルを取れた。僕にとってはすごく大きな出来事でした」
ただ、圧倒的なタレント力にもかかわらず、神戸は短期間での監督交代が続いた。2019年は前年9月から指揮を執っていたファン・マヌエル・リージョ監督体制でスタートしたが、2019年4月に松本山雅FCに敗れた直後に契約解除となり、吉田孝行監督(現清水監督)が暫定的にチームを率い、夏からはトルステン・フィンク監督が采配を振るった。
コロナ禍の2020年もフィンク、マルコス・ビべス、三浦淳寛と3人の監督がチームをマネジメントする事態となり、選手たちは混乱に陥ったことだろう。こうした監督のなかで、西が「日本を離れるのは大きな損失」と発信したのが、リージョ監督だった。
「好きとか嫌いとかを感じられないくらい短かったんで、もっと一緒にやりたかったのが本音ですね。やっぱりペップ(ジョゼップ・グアルディオラ=マンチェスター・シティ監督)が師匠というくらいの人なんで興味はすごくありました。神戸の後、マンチェスター・シティでコーチをやっていましたし、もう少し何かを聞きたかった。
言われたことで覚えているのは、『みんなポジションとかフォーメーションをけっこう気にするけど、そういうのは別にない』ということ。それは僕も感じていたんで、そのサッカー観には共感しました。サッカーは相手がいるものだし、決まったポジションを守る必要はないかなと。そこを探りたかったという気持ちは今もあります。
神戸のようなクラブの監督は、オーナーが何も言えないくらい結果を出さないと、生き残ってはいけない。厳しい世界だなと感じますね」
その神戸を2年で去り、2021年に浦和レッズへ移籍したことは、多くの人々を驚かせた。過去には興梠慎三(浦和アカデミー・ロールモデルコーチ兼パートナー営業担当)が鹿島から浦和へ“禁断の移籍”をしたことがあったが、西の場合は神戸でワンクッション置いている分、鹿島サポーターからの批判的な目線は少なかったかもしれないが、それでもサプライズであったことは確かだ。
「たぶん神戸にはそのままいられたんですけど、移籍の楽しさを知りましたし、自分のなかですごく自信を持っていた時期なので、もっと他でやってみたい気持ちも強かったんですよね。
2021年の浦和はリカルド(・ロドリゲス=現柏監督)が就任し、慎三くんや(柏木)陽介、槙野(智章=現藤枝MYFC監督)、ウガ(宇賀神友弥=現浦和強化担当)といった同世代のメンバーも多くて、やりがいはありました。
ただ、リカはもともと自分の色が濃くある選手よりも、指示したことを着実に遂行してくれる人の方が好きな監督。今の柏を見ているとそう感じます。当時はそのなかでも真面目に良いチームにしようと動いてくれていましたし、僕のことも宏樹が来ても逆サイドの起用も試してくれたりと使いたい意思は感じました」
西はそう述懐する。だが、ロドリゲス監督1年目の浦和はまさに“指揮官の色”に染めようとしていた時期でもあった。そこに追い打ちをかけるように、6月には酒井宏樹がマルセイユを退団して浦和入り。となれば、右サイドバック(SB)としての西はやや厳しい立場に追いやられることになる。
結果的にJ1の25試合出場1ゴールという数字は残したものの、1年で契約満了という予期せぬ出来事に直面することになる。もちろん同年秋の週刊誌報道が火種になったのは間違いないが、「自分は今、すごくいい時期にいる」と考えていた本人にしてみれば、ショッキングな通告だったに違いない。
「そのシーズンは槙野や宇賀神も退団しましたけど、ベテランが見極められる時期でもあった。たまたまそんな年に行っちゃったのが不運だったのかなという感じです。
『レッズへ行かなければ、違った終わり方になったのかもしれない』と思ってる人も周りにいるかもしれないけど、いい仲間とサッカーできましたし、自分の決断に後悔はないです。コロナ禍真っ只中で動きにくかったし、多くの人と接することがしづらい時期だったのは残念でしたけど、僕にとってはいい経験です」
神戸・浦和を駆け抜けた3シーズンは西にとって激動の日々だったのは間違いない。ただ、鹿島・神戸・浦和という日本屈指のビッグクラブを渡り歩いたことで、得られたネットワークはかけがえのないもの。あえて移籍を選んだ西だからこそ、多くの宝を得たということなのだろう。(第6回に続く)
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。





















