韓国移籍も…監督から「グラウンドに入るな」 元日本代表に訪れた困難「キツかった」

小林祐希「裏表のない性格がいろんな環境で困難を生んだのかもしれません」
2026年北中米ワールドカップ(W杯)イヤーを迎え、日本代表への注目度もひと際高まりつつある。指揮を執る森保一監督は2018年ロシアW杯直後からの足掛け8年にわたってチーム強化を進めてきたが、これまで招集したメンバーはのべ150人以上。そのなかには今季から藤枝MYFCを率いる槙野智章監督、バサラ・マインツ監督を務めている岡崎慎司のようなレジェンドも名を連ねているのだ。
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2019年に4試合出場している小林祐希も紆余曲折のキャリアを辿った選手。東京ヴェルディ、ジュビロ磐田を経て、オランダ、ベルギー、カタール、韓国でプレー。再び日本に戻ると、ヴィッセル神戸、北海道コンサドーレ札幌に在籍。2025年はJFLのいわてグルージャ盛岡に身を投じ、今年はシンガポール1部プレミアリーグのタンピネス・ローヴァーズで再起を図るという。33歳になった流浪のフットボーラーに独自のキャリアを振り返ってもらうと同時に、今後の夢やビジョンも語ってもらった。(取材・文=元川悦子/全6回の1回目)
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強烈な左足のキックを武器に10代から頭角を現した小林。宇佐美貴史(G大阪)、柴崎岳(鹿島)らと同じ1992年生まれの“プラチナ世代”の一員としてポテンシャルを高く評価されていた。2009年U-17W杯(ナイジェリア)には参戦しなかったものの、東京Vでトップに昇格した2011年からすぐさまスタメン起用され、19歳でクラブ史上最年少のキャプテンの重責を担った。
そして、2012年夏には磐田へ。そこで出会った現日本代表コーチ・名波浩監督にトップ下に抜擢されてからは急成長。2016年には日本代表に初招集され、6月のボスニア・ヘルツェゴビナ戦(吹田)で初キャップを飾ると、同年夏にはオランダ1部ヘーレンフェーンへ移籍。「ポスト本田圭佑」と目されるほどになった。
そこから順調にステップアップできればよかったが、2019年夏に赴いたのは、当時ベルギー1部のワースラント・ベフェレンだった。
「実はオランダにいたとき、スペインやイタリアのクラブからオファーが届いたんです。自分は行く気満々で、あとはクラブ間交渉だけという状況になったんですけど、話がまとまらなかった。僕としては給料が減っても行きたかったんだけど、結果的には難しかった。
そこで自分の行きたいリーグではなかったけど、ベルギーのクラブからオファーをもらってベフェレンに行きました。そこはそんなに強いチームじゃなかったけど、それなりにいい選手もいて環境的には悪くなかった。でもコロナ禍で試合もなくなって、家でずっとトレーニングする日々を強いられたんです」
そんなとき、小林に届いたのが、カタールからの巨額のオファーだった。「お金があってサッカーが楽しければ家族も幸せになれる。ブラジル人選手が日本まで出稼ぎに来るのもそう考えるから。当時の自分も同じ考えでした」と中東の地に赴くことを決断したのだ。
しかしながら、2020年9月から1年間過ごしたカタール1部のアル・ホールSCでのキャリアは必ずしも順風満帆とは言えなかった。
「カタール人やサウジアラビア人のチームメイトはレベル的にはそこそこだったけど、もともと金持ちでハングリー精神は皆無に等しかった。『追い込んでうまくなりたい』というマインドも感じられなくて、かなり厳しかった。未知なる環境で人間的には成長できましたけど、選手としての飛躍は叶わなかった。そこは本当に悔しかったですね」
偽らざる本音を吐露した小林は2021年夏、韓国で再起を図ることになった。新天地はKリーグ2部のソウルイーランドFC。チョ・ジョンジン監督は2019年U-20W杯(ポーランド)準優勝という輝かしい実績を備えており、小林自身も期待感が高かったという。
「実際、イーランドにはいい選手がいました。ただ、1回のトレーニングに35~40人が参加していて、シュート練習をするにしても、1回打った後、次に順番が回ってくるまで5分くらい待たされる(苦笑)。監督の戦術も明確ではなくて、K2で最下位という状況に陥ったんです。
『正直、失敗したな』『このままここにいてもムリだよな』と考えるようになった。シーズン途中に契約解除して他のクラブを探そうとしていた矢先に、K1の江原FCを率いていた元韓国代表FW崔龍洙(チェ・ヨンス)さんから突如として電話がかかってきました。「『ぜひウチに来てほしい。もう1回、韓国で頑張りましょう』と直々に誘ってくれたんで、僕としても心が動きましたね。
2022年2月に移籍しましたけど、チームメイトも日本代表や海外でプレーした僕へのリスペクトの念を示してくれて、すぐにいい関係を築けた。やっと自分の力を発揮できる場所に来られたと前向きなマインドになれました」
そのまま江原FCの大黒柱としてチームを躍進へと導ければよかったが、事態は徐々に予期せぬ方向へと動き始める。強い影響力を持つようになった小林に対し、指揮官が徐々に反感を抱くようになったというのだ。
「僕がメンバーを集めて『今はこういうふうに戦おう』といった話をするのを、チェ・ヨンスさんは気に入らなかったんでしょうね。徐々に厳しく当たられるようになり、最終的には『トップチームのグラウンドに入るな』と宣告されました(苦笑)。ユースで練習させられる状況になり、本当にキツかった」
急転直下の出来事に戸惑ったという小林。幸いにして、2022年7月にはヴィッセル神戸からオファーが届き、日本復帰が決まった。最悪の状況からは脱することができたが、この例に象徴される通り、小林の海外キャリアは本当にままならないことが多かったのだ。
「ご存じの通り、僕は思ったことをストレートに口にするタイプ。裏表のない性格です。それがいろんな環境で困難を生んだのかもしれません。でもそういうキャラクターをネガティブに受け止めたことはないし、歩んだ道も後悔はしていません」
キッパリと言い切るのが、実に小林らしいところ。韓国での困難を経て、6年ぶりのJリーグ復帰で落ち着いてプレーできると思われた。だが、この後も波乱万丈のキャリアを強いられることになるのだ。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。



















