岩政監督が惚れ込んだ「世界一の場所」 パワースポット、食事、歴史…30年不変の思いが「強い原動力」

札幌・岩政大樹監督がおすすめする“場所”
2025年1月から北海道コンサドーレ札幌の指揮官に就任し、長いキャンプを経て、3月から札幌に住み始めた岩政大樹監督。もともと山口県の周防大島出身の彼は地元を離れて以来、東京、鹿嶋、バンコク、岡山、ハノイと居を移してきたが、北の大地に根を張る生活は初めてのこと。北海道への思いを語った。(取材・文=元川悦子/全7回の最終回)
【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!
◇ ◇ ◇
今年の夏は異常気象が続き、札幌でも35度超の猛暑に見舞われるケースが少なくないが、爽やかな気候や大自然、食事含めて、楽しみは増える一方だという。
「今まで北海道は札幌しか来たことがなかったんですけど、本当に行くところが多いし、奥深さを感じる日々です。札幌の中で言えば、開拓神社はパワースポットですね。円山公園に隣接する北海道神宮の中にあるんですけど、気持ちが落ち着く場所ですし、発想が湧いてくる気がします。開拓者の魂が息づいているのかなと感じます。
開拓者もそうなんですけど、僕は北海道の歴史に興味を持つようになって、少しずつ勉強しています。この前はウポポイ(北海道白老郡白老町にある民族共生象徴空間)に行ったんです。歴史がメチャクチャ面白かった。開拓の歴史は美談かもしれないけど、先住民からすると悲劇じゃないですか。現在に至っている流れも含めて、本当に興味深い。ぜひ行ってください」と指揮官はおすすめの場所を挙げてくれた。
確かに、本土の人間の目線から見ると、しばしば訪れるのは札幌を中心としたエリアのみ。ウポポイに近い登別や室蘭に行く機会も滅多にないし、道東の釧路や根室、道北の稚内などは自ら率先して行かない限り、立ち寄れるところではない。そういう広大な北の大地で暮らす中、多彩なエリアに赴き、アイヌと先住民の歴史、ロシアとの関係、北方領土問題などを学びたいというのが、今の岩政監督の偽らざる思いのようだ。
「住めば住むほど魅力が増えるんで、北海道はヤバいです(笑)。人も優しいし、食事もレベルが違う。寿司はもちろん、そば、スープカレー、ジンギスカン。あげればキリがありません。飲食店に入ると、店主の方がそれぞれにこだわりを持っていて、個性がある。そこも物事にこだわりを持つ自分に通じるのかなと感じます(笑)。
僕は今までいろんな国に行かせてもらったし、日本も多くの場所に出向かせてもらいましたけど、ここは世界一の場所。そう言っても過言ではないと思います。東京の目線から見ると行き来しづらいところですけど、だからこそ、知ったことが有難い。人生、これを知らずに生きていくのは本当にもったいないですね」
北海道で感じる「後押し」と「サポート」
岩政監督は自身の中に芽生えた強い“北海道愛”を公言する。コンサドーレのホームタウンは北海道全域。自分たちの土地に愛着を持ってくれる指揮官を人々も大いに歓迎し、応援するはずだ。そういうサポーターの姿勢を岩政監督自身も心強く感じているという。
「サッカーという勝ち負けの中で生きている以上、結果を出し続けなければいけないんですけど、コンサドーレに来てからは勝っても負けても後押しされている感覚が強いんですよね。
今僕たちは新たなコンサドーレを作ろうと戦っていますが、そういう動向を見守ってくれる、そして共に戦ってくださるのが北海道の人たちなんですよね。メディアも沢山ありますけど、彼らも応援してくれている印象が強い。常に同じ側に立ってくれているというのは、現場で戦っている者としては本当にありがたいこと。そういう人たちと一緒になって僕は勝ちたいし、J1に上がりたい。それが今の素直な気持ちです」
岩政監督が感じる「現場への後押し」や「サポート」は、コンサドーレというチームの成り立ちから来る部分も少なくないのかもしれない。そもそもコンサドーレの母体は東芝で、1993年のJリーグ発足後、北海道青年会議所が地元チーム発足を目指して署名活動を開始。95年に財界も協力体制を取るようになり、96年に東芝の札幌移転が正式決定した。
実を言うと、筆者は同年12月のチーム名決定日に横浜市新杉田にあった東芝の練習場に赴き、新人だった吉原宏太(札幌スクールコーチ)を取材したことがある。「どさんこを逆さから読んで、オーレという言葉を付けた造語がチーム名になる」と聞いた時には驚いたが、当時のクラブを取り巻く熱気自体は凄まじいものがあった。
97年に本格移転した後も、コンサドーレが北海道民に求められて誕生したクラブなのだと痛感することが何度もあった。それから30年近い月日が経過しても、根底にある人々のメンタリティは不変なのだろう。「どんな時も現場を応援する」という人々の意思を岩政監督も強く感じながら、戦い続けているのだ。
「一緒に戦ってくれるサポーターのいるチームで指導者ができるのはすごく嬉しいこと。これは紛れもなく本心です。
コンサドーレは2024年にJ1で厳しい戦いを強いられ、J2に落ちてしまったわけですけど、落ちたチームの記憶というのはなぜかバイアスがかかってしまいがち。『自分たちはJ1にいるべきだ』と考えてしまって、頭を切り替えるのが難しいんです。そういう時にサポーターのみなさんがこちら側に立ってくれなっかたら、どんどん方向性がブレていってしまう。4連敗した時も常に寄り添って応援してくれたからこそ、自分も選手もやるべきことをやるべき順番でやり通せた。強い原動力になってくれているのは間違いないです」
北海道愛の強い指揮官が、地域を愛する人々とタッグを組んで、かつてないほどの一体感を作れれば理想的。そうなるように、大きな期待を寄せつつ、ここからの動向を見守っていきたい。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。





















