笑顔という良薬 病魔と闘いながらボールを蹴り続ける男の物語

 

 日本代表のブラジル・ワールドカップ出場決定に沸いた日、31歳のフットサル選手に非情な通告がなされた。根治手術が不可能な右上葉肺腺がん。既に抗がん剤の服用しか対処方法はなかったという。それでも、治療開始から4カ月後にリハビリを開始し、さらに3カ月後にはトップリーグのピッチに生還。あえて聞いていない限られた時間の中で、明確な人生の目標を据える男の顔には、良薬ともなる笑顔が浮かんでいた。

 

久光重貴にとって2013年6月4日は特別な日となった

 

 ふとつけたテレビでは、本田圭佑がPKで得点し、サッカー日本代表が5大会連続となるワールドカップ(W杯)出場を決めた映像が流されていた。読売ヴェルディジュニアユース、帝京高校と名門チームに在籍した経歴を持つ男にとっても、日本のW杯出場決定というニュースは喜ばしいはず。だがその日の彼には、自分とはまるで関係のない世界の出来事に思えてならなかった。

 日本中が歓喜に沸いたあの日、湘南ベルマーレのフットサル選手である久光重貴は、肺がんに侵されていたことを告げられた。

「自分でも『最悪は、がん』だと感じ取っていました」と言う。シーズン開幕前、Fリーグの選手たちはメディカルチェックを受ける。そこで問題が見つかった久光は再検査に回る。最初は「念のため」と言われたが、その検査の数や内容は事の重大さを連想させるに十分だった。

 気管支にカメラを通して細胞を採取する気管支鏡検査では、複数の医師に羽交い絞めにされながら、口から肺の末端まで気管支鏡を通さなければならなかった。検査開始時に麻酔は使えず、カメラの先端から麻酔が出ているとはいえ、それが利き始めるまで待つ余裕もない。

「意識があるから、どこをカメラが通っているのか、どこの細胞を採取しているか全て分かるんです」

 約20分間の検査中、激痛に襲われても身動きはおろか、言葉での意思表示すらできない。検査室には声にならない叫びが響いた。麻酔で眠りに落ちた久光が意識を取り戻したのは、病室のベッドの上だった。

 レントゲン検査やMRI検査も繰り返し行われ、安くない費用がかさんでいった。自分の体に何が起きているのか。そんな中、家族同伴で病院に来てほしいと告げられた。

 大学病院は多くの患者でごった返していた。午前10時に受け付けし、診断結果を伝えられたのは午後7時過ぎ。誰もいなくなった病院で、ようやく医者と対面すると、「まず病状から発表します。肺腺がんです」と知らされた。

 10時間近い待ち時間の中、「最悪がんだと思う。でも、そう言われても泣かないで」と、久光は母・仁子さんに懇願した。母の涙は見たくなかったし、その言葉を自分にも言い聞かせていることに気付いていた。

 母は、泣かなかった。

 病状はかなり悪化しており、手術ができない状態にあること。今後は薬で進行を食い止めるしかないこと。重い事実を突きつけられても、冷静に医師の言葉を聞いていた。「余命の話をしますか?」と問われ、「俺は聞きたくない。聞かなくていいよね?」と息子が即答したときも静かにうなずいた。しかし、「今日はお父さんが来ていませんが」という医師の何気ない一言で、こらえていた涙腺は決壊。父・慶重さんは、7年前に脳こうそくで亡くなっていた。

 病院を出て歩き始めると、「がん宣告で泣いたわけじゃないんだよ。お父さんのことを言われたら、いろんなことを思い出してね」と母は口にした。そんな気遣いに感謝しながら、久光は自分がこれから何をすればいいのかを考えていた。

 自宅へ戻る途中に湘南の水谷尚人社長、相根澄監督(当時)と連絡を取り、翌日の練習でチームメートたちに病状を伝えたいと申し出た。練習に来なくなった久光へ、仲間からは毎日のようにメッセージが届いていたからだ。自宅に帰り、皆にどう話そうかと考えながらテレビをつけると、W杯出場決定のニュースが飛び込んできた。

「2013年6月4日、みんなはお祭り騒ぎだったけど、僕は別の意味で忘れられない日になった。W杯出場が決まった日に診断結果を聞いたことも、何かあるんだろうなと思いましたね」

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