笑顔という良薬 病魔と闘いながらボールを蹴り続ける男の物語

大病を抱えながら、治療に専念することなくフットサルを続ける理由とは

 

 がん宣告から8カ月。久光は小田原アリーナに帰って来た。前日の大雪で試合開催も危ぶまれた中、会場にはFリーグの試合としては多い1574人の観衆が集まっていた。

 久光はスターティングファイブに名を連ね、1分強のプレー時間の中でチームのファーストシュートを放った。後半開始時もピッチに立って勝利を目指した。残念ながら試合は1-5で敗れたが、彼にとっては忘れられない日となった。

「夢のような時間だった。諦めなければ、かなうこともある」

 試合後、言葉に詰まりながらも力強く言い切った。

 約1年ぶりにピッチに立てたこと以上にうれしかったのが、観戦した人たちの反応だ。湘南の選手たちは観戦に来てくれたファン・サポーターを出口で見送る。この日は久光の前で立ち止まり、「私も同じ病気なんです」「父もがんなんです」と話し掛ける人が多数いた。彼らは「勇気をもらいました」と口々に感謝を伝え、中には新たな生きがいを見つけた人もいた。

「フットサル、面白いですね。久光さんも応援しますけど、フットサルを見たいので、また来ます!」。久光はそんな反応を受け、「出場して本当に良かった」と胸を熱くした。

「病気になった人たちには、楽しみを持っていない人も多い。スポーツを見に行っていた人も、病気になると足が遠のくと思うんです。そういう人が僕を見て、『あいつは治療を頑張っているし、ちょっと見に行ってみようか』と思ってくれたら本当にうれしい。僕をきっかけにフットサルを見に来て、そこで湘南の選手たちが良いプレーをして、例えば内村俊太や安藤良平、ボラのプレーを見て『あの選手が格好いい』と感じてくれるのが理想。だからチームメートにも頑張ってほしいし、僕も彼らに負けずにピッチに立って、僕を見に来てくれる人の期待に応えたい。昨季の最終節のように、フットサルを見ることが生きがいになるという人が出てきてほしいし、それが僕の生きがいにもなりますからね」

 肺がんという大病を抱えながら、治療に専念することなくフットサルを続ける理由は何なのか。現在、久光が最も多く受ける質問の1つだ。

 彼は「大きな借りがある」という。帝京高校卒業後、トイレ掃除や引越し業者などのアルバイトに明け暮れる日々の中で、人生の目標を持つことができなかった。そんなときにフットサルと出会い、日本一や日本代表という目指す場所ができ、「最高の仲間たち」と共に夢を追いかけた。07年には全国リーグのFリーグができ、その舞台に立てた。そして、Fリーグはメディカルチェックを通して生命の危機を教えてくれた。

「フットサルがなければ今の僕はあり得ない。そもそも、生きていられたかも怪しい。だからフットサルというスポーツに、何かを還元したいんです」

 迎えた今シーズンも、久光はFリーグで戦い続けている。

「今の中学生や高校生が、『フットサル選手になりたい』という気持ちを持てるリーグにしていきたい。病気のことで言えば、病気を抱えている人たちが希望を持てるように、試合に出たいし点も取りたいですよね。あと何年、もしかしたら何カ月かもしれないけど、選手でやれる時間を大切にしていきたい。まだまだ頑張りますし、もう一頑張りしないともったいないと思うんですよね」

 そんな久光の体には、ポジティブな変化が起きている。治療を始めたころに約3センチあった腫瘍が、今では半分以下の大きさになった。

「人間の脳って結構、単純らしくて。笑うことが、がん細胞にはすごく有効らしいんですよ」

 多くの人たちに支えられ、大好きなフットサルを取り戻した久光は、飛び切りの笑顔を見せた。

◆久光重貴(ひさみつ・しげたか)1981年7月8日、神奈川県生まれ。33歳。読売ヴェルディジュニアユースから帝京高校と進み、07年にペスカドーラ町田に入団。08年に湘南ベルマーレに移籍。09年にフットサル日本代表に選出される。11年に左足首に骨髄炎を発病、車いす生活から1年半をかけて選手として復帰。13年6月に右上葉肺腺がんと診断され、翌月から治療開始。14年2月に復帰、4月に日本対がん協会フットサル大使に就任。

【了】

河合拓●文 text by Taku Kawai

page1 page2 page3

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング