「彼がもっと自己主張したら…」 元日本代表GKが語る中田英寿、中村俊輔、小野伸二「信長、秀吉、家康のよう」【インタビュー】
元日本代表GK土肥洋一氏が共闘した3人の天才、三者三様のパーソナリティー
日本サッカー界のパイオニアである中田英寿。セットプレーの名手として名高い中村俊輔。魔法のようなボールタッチで見るものを魅了した小野伸二。日本サッカー界の歴史に名を刻む3人の天才プレーヤー。歴史に名を刻んだ日本サッカー界の“三英傑”と2006年のドイツ・ワールドカップ(W杯)をともに戦った元日本代表GK土肥洋一氏に三者三様の魅力について聞いた。(取材・文=石川遼/全4回の1回目)
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土肥氏は現役時代に柏レイソル(前身の日立製作所を含む)、FC東京、東京ヴェルディでプレー。Jリーグベストイレブンにも選ばれた経験を持つ。現役引退後は指導者に転身し、2018年からJ2レノファ山口でGKコーチを務めていたが、2023シーズン限りで退団。来季も指導者として活動継続のため、現在は“新天地”となるクラブを探している。
そんな土肥氏はジーコジャパンの常連メンバーで、2006年のドイツW杯メンバーでもある。当時のチームには個性豊かなタレントが揃っていたなかで、中田、中村、小野と時代が違えばそれぞれが代表の中心に立っていたであろう天才プレーヤーが並び立っていた。
中田は技術だけでなくフィジカルの強さも備えた選手で、中村と小野はテクニックに優れたファンタジスタタイプでプレースタイルもそれぞれ異なっていたが、土肥氏は3人の違いについてこう表現している。
「俊は頭の中で『ここにパスを出したらこうなる』という最短ルートが常に見えている選手。そのうえで自分のレベルを落としてでも、やるべきことをプレーで示し、周りも一緒に上げていくイメージです。
一方で、ヒデは周りに合わせて自分のレベルを落とすことなく『自分でここまで上がってこい』と引っ張っていくタイプ。伸二は伸二で、俊のように周りを引き上げるわけではないけど、『自分が変わればいいんだ』と周りに合わせてプレーを変化させるようなイメージです。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康みたいに三者三様です」
カリスマ性があり、背中で引っ張っていく中田。周囲と歩幅を合わせて進む中村。そしてマイペースに周囲との調和を目指す小野。戦国時代に天下を取った三英傑のようにそれぞれ三者三様のパーソナリティーを発揮していたという。
小野伸二の「止める、蹴る」は一級品「日本で彼の右に出るものはいない」
小野が度重なる怪我に悩まされていたこともあり、3人揃ってプレーする機会は決して多くはなかったが、中村と中田はドイツW杯まで揃ってレギュラーとしてプレー。中村がより高い位置に入り、中田はダブルボランチの一角を務めた。
土肥氏は「W杯の時にはポジションもそうですけど、ヒデが一歩引いていましたね。もし、ヒデが昔のように前に出ていたら、俊は試合に出れていなかったかもしれない」と2人の関係性について振り返る。
そして、出番が限られていた小野については「伸二は周りに気を使う性格だったのもあって前に出てくることはなかったですけど、彼がもっと自己主張をしていたら、どうなっていたんだろうというのは想像することはあります。単純に『止める、蹴る』のボール扱いの部分だけでいえば、日本で彼の右に出るものはいないですから」と語っていた。
[プロフィール]
土肥洋一(どい・よういち)/1973年7月25日生まれ、熊本県出身。大津高―日立製作所/柏レイソル―FC東京―東京ヴェルディ。日本代表通算4試合、J1通算341試合、J2通算97試合、JFL通算15試合出場。2004年にナビスコカップMVP、Jリーグベストイレブンを受賞。2000年から06年までJリーグ216試合連続出場記録(当時)を打ち立てた。06年ドイツW杯でメンバー入り。第一線で長年活躍し、12年シーズン限りで現役引退。13年から東京Vの育成GKコーチやトップチームGKコーチを歴任。U-18日本代表GKコーチも務め、18年から23年までレノファ山口FCのトップチームGKコーチも務めた。
(石川 遼 / Ryo Ishikawa)