怒りと不信感…“悪夢”のW杯韓国戦 元スペイン代表レジェンドMFが激白「何をやっても勝つのは不可能という感覚だった」

代表ユニフォームを持ちほほ笑む元スペイン代表MFルベン・バラハ氏。2002年日韓W杯の忘れられない韓国戦について語った【写真:島田徹】
代表ユニフォームを持ちほほ笑む元スペイン代表MFルベン・バラハ氏。2002年日韓W杯の忘れられない韓国戦について語った【写真:島田徹】

【独占インタビュー】2002年日韓W杯のスペイン代表がたどり着いた“精神的な壁”

 ワールドカップ(W杯)では、いくつもの名場面や印象的なシーン、出来事があり、サッカーファンはそれを思い出しては興奮を呼び起こし、仲間たちと語り明かしたりするもの。だが、すべてが輝かしいものでもなければ、ヒーローの物語でもない。なかには暗く思い出したくないものも存在する。スペイン代表にとって、韓国代表と対戦した2002年日韓W杯の準々決勝が“悪夢”の最たるものだろう。「試合の中でとんでもない判定がいくつかあった」と振り返る元スペイン代表MFルベン・バラハ氏。2度のゴールを取り消されたあとPK戦で敗れ、審判団への不信感を募らせたというバラハ氏は、「何をやっても勝つのは不可能という感覚だった」と韓国戦を回想する。(取材・文=島田 徹/全3回の2回目)

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   ◇   ◇   ◇

――スペイン人選手、またはあなたにとって、スペイン代表に選ばれW杯に出場することは、どういう意味があるのだろう?

「選手にとっては最高と言える瞬間だ。スペイン代表までたどり着くというのは、ほかでは味わえない唯一の経験で、その先もずっと心の中にとどめられる記憶になる。プロ選手として所属クラブでの働きぶりが認められ、W杯や欧州選手権へ出るというのは起こり得るなかで最も素敵なことだ」

――当時所属チームのバレンシアは2年連続でUEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝へ進むなどクラブ史上最高の数年を迎え、複数の選手たちが代表の主力になっていた。

「バレンシアは常に代表チームへ選手を送り出していたけど、調子がいい時にはより多くの選手たちがプレーしていた。我々はクラブチームで素晴らしい時期を迎えていて、歴史に残るシーズンを送っていた。そういうチャンピオンチームでやっているというのは、いつでも選手にとって助けになるものだ」

――2002年日韓W杯を前にした手応えは? スペイン代表の目標はどこにあった?

「有力なチームだったとは思うけど、あの時のスペインは優勝候補ではなかった。優勝候補としてプレッシャーが生じてくるのは2010年南アフリカW杯で初優勝したあと。でも、当時はそれが我々にとっては良かったんだ。日韓大会は初めてアジア大陸で開催され、母国から遠く、時差調整があったり、施設的な問題もあったり、移動が長かったりと複数のマイナス面があった。そのなかで優勝候補ではなかったスペインはいい戦いをした。我々の中で精神的な壁としてあった準々決勝を勝ち抜け、準決勝へ進むという目標を持っていた。目標達成にプレッシャーを感じるといったほどではなかったけどね」

――グループリーグの3試合、そしてPK戦で勝ち進んだベスト16のアイルランド戦までの闘いぶりは満足している?

「グループリーグ(※)は厄介だった。戦前の見方で相手は大したことのないチームという評価だったが、実際にはそれほど簡単な相手ではなかった。決勝トーナメントに入ったベスト16のアイルランドは、この上なくハードだった。湿気が高く、時差調整といった問題はこの段階になっても残っていた。幸運にもPK戦で勝ち進んだが、スペインはそれまでの精神的な壁、準々決勝にたどり着いていたよ」

※2002年日韓W杯でスペインは、スロベニア(3-1)、パラグアイ(3-1)、南アフリカ(3-2)に3戦全勝のグループ1位で決勝トーナメント進出を果たす。16強でアイルランドに1-1もPK戦の末3-2で勝利し、準々決勝で韓国に0-0もPK戦の末3-5で敗れてベスト8敗退。

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島田 徹

1971年、山口市出身。地元紙記者を経て2001年渡西。04年からスペイン・マジョルカ在住。スポーツ紙通信員のほか、写真記者としてスペインリーグやスポーツ紙「マルカ」に写真提供、ウェブサイトの翻訳など、スペインサッカーに関わる仕事を行っている。

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