「思い出はたくさんある」 今季限りで引退の中村俊輔を元主審・家本氏が回想、印象に残った2試合とは?

試合中にコミュニケーションを取る元審判員の家本政明氏と中村俊輔(※写真は2013年のものです)【写真:Getty Images】
試合中にコミュニケーションを取る元審判員の家本政明氏と中村俊輔(※写真は2013年のものです)【写真:Getty Images】

【専門家の目|家本政明】2011年、16年の中村とのエピソードを披露

 J2横浜FCの元日本代表MF中村俊輔が10月18日、今季限りでの現役引退を発表した。Jリーグで長年、ピッチ上でその存在を見てきた元審判員の家本政明氏が、“天才レフティー”との思い出深いエピソードを語った。(取材・構成=FOOTBALL ZONE編集部)

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 引退の報道を聞き、「本当に寂しい」と率直な思いを口にした家本氏は、「中村選手との思い出はたくさんある」と前置きしつつ、「特に印象に残っている」過去のやり取りのシーンを振り返った。

 まず挙げたのは2011年8月6日、J1リーグ第20節の横浜F・マリノス対柏レイソルの一戦(0-2)だ。この2日前、横浜FMで長年活躍した“ミスターマリノス”こと元日本代表DF松田直樹氏(当時JFL・松本山雅FC)が急逝。さまざまな感情が渦巻くなかで、選手たちは試合に向かうことになる。

 家本氏は当時を振り返り、「あの時は、首位の柏レイソルと、3位の横浜F・マリノスの上位対決でした。マリノスの選手たちが複雑な思いを抱えながら試合に臨んでいるのは見て感じていました」と通常とは異なる空気感を実感したという。そしてこの試合で先発した中村に対しても「普段とは全く違う表情、プレーをしていた」と回想している。

「試合中、彼がらしくないプレーで反則をして、僕は100%警告と判断してイエローカードを提示しました。さらにその後、彼は再び警告が出てもおかしくない反則をしてしまいました。2回目は判定に選択の余地があるプレーだったので、僕はいろいろと考えたうえでカード出さず、彼と話をしました。その際、目線が合わずやはり普段の反応と異なっていたのを覚えています。いつもの中村選手ではなかった」

 家本氏はその様子から、「彼のような選手でも100%集中できない状態がある」と痛感したという。さらに「試合後には審判アセッサー(試合のジャッジを評価する人物)から私情を持ち込むなとものすごく怒られました」と明かし、「僕はどちらとも言える反則だったので簡単に彼を退場させるのではなく、彼ともう一度しっかり話をしたうえで、マリノス側ともコミュニケーションを取りゲームをマネジメントするほうが望ましいと考え、そういった行動を取りました。今でもあの対応は間違っていなかったと思っています」と判定に至るまでの思いを語った。

 この試合を通して家本氏は、中村が「仲間を思う本当に“熱い”気持ちを持った選手」だと改めて実感したことを明かしている。

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家本政明

いえもと・まさあき/1973年生まれ、広島県出身。同志社大学卒業後の96年にJリーグの京都パープルサンガ(現京都)に入社し、運営業務にも携わり、1級審判員を取得。2002年からJ2、04年からJ1で主審を務め、05年から日本サッカー協会のスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー)となった。10年に日本人初の英国ウェンブリー・スタジアムで試合を担当。J1通算338試合、J2通算176試合、J3通算2試合、リーグカップ通算62試合を担当。主審として国際試合100試合以上、Jリーグは歴代最多の516試合を担当。21年12月4日に行われたJ1第38節の横浜FM対川崎戦で勇退し、現在サッカーの魅力向上のため幅広く活動を行っている。

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