「五輪メダリスト」から世界的スターへ 大会後に飛躍したサッカー史に輝く“名手3人”

アルゼンチン代表FWリオネル・メッシ【写真:Getty Images】
アルゼンチン代表FWリオネル・メッシ【写真:Getty Images】

“怪物”ロナウドは1996年大会で銅メダル、大会直後のシーズンにバルセロナでブレイク

 東京五輪のサッカー男子も残るは2試合、日本とメキシコによる銅メダルをかけた3位決定戦、そしてスペインとブラジルによる決勝だ。2試合の結果にも注目だが、この大会を経験した選手たちがどれだけ成長し、飛躍していくかは大きな楽しみだ。今回は五輪を一つのきっかけにして、世界的スターに上り詰めた3人の選手をピックアップした。

■ロナウド(ブラジル/1996年アトランタ五輪)

 日本に“マイアミの奇跡”で敗れたことが強く記憶されるブラジルだが、結局グループリーグを2勝1敗の勝ち点6でナイジェリアとともに得失点差で日本を上回り突破。準決勝ではそのナイジェリアに3-4で敗れたものの、3位決定戦でポルトガルに勝利して銅メダルを獲得した。そのチームのなかに、1994年ワールドカップ(W杯)を17歳で経験(未出場)した”怪物”ロナウドがいた。

 日本に0-1で敗れた後、ロナウドの先制ゴールなどでハンガリーに3-1と勝利。さらにナイジェリア戦では唯一のゴールをあげて1-0の勝利に貢献した。そして準々決勝ではガーナを相手に2ゴール。3試合連続ゴールで注目を高めたが、ナイジェリア戦では無得点のまま、チームは3-2とリードしていたために後半40分に交代。だがブラジルは終了間際と延長戦にまさかの2失点を喫し、3位決定戦に回ることになった。

 それでも腐ることなく、ロナウドはポルトガル戦で開始4分にゴールを決めて5-0勝利につなげた。A代表でもエースストライカーとして期待が高まったロナウドは、その夏にオランダのPSVから移籍したバルセロナで驚異の34得点を記録。在籍1シーズンにして強烈なインパクトをもたらしたロナウドは、鳴り物入りでイタリアのインテル・ミラノに加入。そこでもセリエAだけで25得点を記録した。

 しかし、順風満帆だったロナウドに悲劇が襲ったのはブラジルが大会の大本命として期待された98年フランスW杯の決勝だった。謎の胃痙攣に襲われて、試合には出場したものの満足なプレーができずに、フランスに屈辱の0-3負けを喫して準優勝に終わった。さらに翌シーズンのセリエAで右膝の大怪我を負ったロナウドはキャリアの危機に陥るが、2002年の日韓W杯で見事な復活劇を見せてリバウド、ロナウジーニョとともに“3R”の1人として旋風を巻き起こし、8得点で優勝に導いた。

 その後も“銀河系軍団”のレアル・マドリードで03-04シーズンの得点王に輝くなど、輝かしいキャリアを築いた“フェノーメノ”のストーリーは、今なお多くのサッカーファンの記憶に深く刻まれているだろう。

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河治良幸

かわじ・よしゆき/東京都出身。「エル・ゴラッソ」創刊に携わり、日本代表を担当。著書は「サッカーの見方が180度変わる データ進化論」(ソル・メディア)など。NHK「ミラクルボディー」の「スペイン代表 世界最強の“天才脳”」を監修。タグマのウェブマガジン「サッカーの羅針盤」を運営。国内外で取材を続けながら、プレー分析を軸にサッカーの潮流を見守る。

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