「五輪メダリスト」から世界的スターへ 大会後に飛躍したサッカー史に輝く“名手3人”

逸材だったメッシが五輪金メダルで飛躍、大会後のシーズンで初のリーグ戦20得点超え

■サミュエル・エトー(カメルーン/2000年シドニー五輪)

 オーバーエイジのパトリック・エムボマを擁し、シドニー五輪で金メダルを獲得したカメルーンでも飛躍につなげたのがFWエトーだった。2年前の1998年W杯に17歳で選ばれたエトーは、レアル・マドリードの契約選手ながら期限付き移籍が続き、シドニー五輪もマジョルカの選手として参加した。そこで準決勝まで無得点だったが、決勝のスペイン戦で2-2となる同点ゴール。最後はPK戦でもゴールを決めて母国の金メダル獲得に貢献した。

 そこから完全移籍となったマジョルカで着実にゴールを積み重ねて評価を高めた快足ストライカーは、2004年の夏にバルセロナ移籍。名手ロナウジーニョらとホットラインを築き、さらにゴールを量産した。05-06シーズンにはリーガ・エスパニョーラの得点王を獲得。バルセロナに在籍した5年間でリーグ戦108ゴールを記録し、その間にUEFAチャンピオンズリーグ(CL)を2度制すなど、多くのタイトル獲得に貢献した。

 さらにイタリアのインテル移籍後も09-10シーズンにセリエAとCL、コッパ・イタリアの三冠を達成。カメルーン代表ではエムボマを引き継ぐような形でエースを超えたボス的な存在となり、118試合で56ゴールを記録した。最も代表チームが充実していた2006年のドイツW杯を、“ヤウンデの悲劇”(最終戦でエジプトと引き分け、他会場で勝利したコートジボワールに抜かれる)により逃したが、サッカー史に輝くアフリカ人選手の1人だ。

■リオネル・メッシ(アルゼンチン/2008年北京五輪)

 今夏のコパ・アメリカでキャプテンとして優勝し、ようやくA代表での初タイトルを獲得したメッシだが、2008年の北京五輪ではセルヒオ・バティスタ監督の下、目覚ましい活躍でアルゼンチンの金メダル獲得に貢献。バルセロナでの絶対的エースへの飛躍につなげた。

 グループリーグ初戦でコートジボワールから先制点を奪ったメッシ。そこから2試合は無得点だったが、準々決勝でオランダからアンヘル・ディ・マリアとともにゴールを奪って2-1の勝利に大きく貢献。準決勝では宿敵ブラジルから盟友セルヒオ・アグエロが2ゴールを奪うなどして歴史的な3-0快勝を飾ると、決勝ではカウンターから鮮やかなスルーパスでディ・マリアの決勝ゴールをアシスト。金メダルを獲得した。

 それまでもヤングタレントとして注目を集めていたメッシだが、本当の意味で得点力が開花したのは北京五輪で大きな自信を掴み、バルセロナに戻ってからだった。08-09シーズンで初のリーグ戦20点超え(23得点)を達成すると、翌シーズンは34得点。09年に初めてバロンドールを受賞した。11-12シーズンにはクリスティアーノ・ロナウドとの壮絶な争いを制して、リーグ戦50得点の金字塔を打ち立てた。

 これまで史上最多6回のバロンドールに輝くなど、世界的なスーパースターの名をほしいままにするメッシだが、A代表で期待通りの結果を残せず、一時は引退宣言したこともあった。それでも今夏のコパ・アメリカ優勝で長いトンネルを抜け出した感もある。35歳で迎える来年、アルゼンチンに“マラドーナの大会”と呼ばれた1986年大会以来のW杯優勝をもたらすことができるだろうか。

(河治良幸 / Yoshiyuki Kawaji)



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河治良幸

かわじ・よしゆき/東京都出身。「エル・ゴラッソ」創刊に携わり、日本代表を担当。著書は「サッカーの見方が180度変わる データ進化論」(ソル・メディア)など。NHK「ミラクルボディー」の「スペイン代表 世界最強の“天才脳”」を監修。タグマのウェブマガジン「サッカーの羅針盤」を運営。国内外で取材を続けながら、プレー分析を軸にサッカーの潮流を見守る。

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