“本命”イングランドはお約束? EURO優勝予想に見る英国の威勢の良さと根本的問題

選手間のライバル意識の強さと“剛腕”を避けるFAの監督人事

 ファーディナンドは、ランパードとはウェストハムのユースで一緒で、少年時代は“親友同士だった”という。しかし、最終的にユナイテッドとチェルシーに分かれると「代表で会っても口をきくことはなかった」と話す。ユナイテッドとは犬猿の仲であるリバプール主将だったジェラードには、「近寄りたくもなかった」と言う。ランパードが「ファギー(アレックス・ファーガソン監督)にそう(ライバルクラブの選手と仲良くするなと)言われたんだろう?」とからかった。するとファーディナンドは、「それどころか、代表には行くな、さ」と返した。冗談混じりだろうが、当時のユナイテッドが多くのイングランド代表選手を輩出しながら、ファーガソン監督が選手を出し渋ったことは有名だった。

 ちなみにデイビッド・ベッカムのレアル・マドリード放出に関しては様々な理由が語られるが、その最大の要因はベッカムがイングランド代表主将となり、2002年の日韓大会以降、W杯を通じて世界的なアイドルとなったことで、ファーガソン監督から見ると“クラブより代表を優先する態度が目立つようになった”ことだろう。

 それはともかくとして、普段は四六時中、クラブ同士の熾烈なライバル心を剥き出しにして戦う相手と急に親しくしろと言われても、それは無理な相談というもの。ジェラードは「(リバプールの)チーム内で、例えばブラジル人の選手が『代表に行くのが楽しみでしょうがない』と話しているのを聞いて、不思議だった。僕は『ああ、またか』という気持ちだった。(代表の)チームメートに敬意は抱いたけど、親しみは感じなかった」と話して、イングランド代表との間に“心の壁”があったことを明かしている。

 しかし“強い監督”がいれば、そんな心の壁を取り除き、選手を一団にまとめることもできるだろう。かなりの剛腕、強さが必要であるが……。

 とすると、やはり現在のギャレス・サウスゲート監督はいかにも線が細いという印象だ。選手時代から戦略に精通し、監督として将来を嘱望された人材ではあるが、2006年にミドルスブラで当時の監督だったスティーブ・マクラーレンがイングランド代表監督に就任して、主将を勤めていたサウスゲートが突如として監督に就任した。ここでは選手から監督への切り替えが上手くいかず、2009年10月に解任された。以降、解説者として浪人時代を過ごし、2013年からU-21イングランド代表の監督に就任。そして2016年9月にサム・アラダイス監督がスキャンダルで解任されて、暫定監督に就任。同年12月から正式監督となった。

 この経歴を見ても分かる通り、クラブでも代表でも、前任の監督が突然いなくなって、トップに上り詰めている。ミドルスブラではオーナーの鶴の一声で決まったと言われるが、その監督就任の過程はあまりにも安易。そして政府や高級官僚の天下り先でもあるイングランドFAには、そうした役人気質の幹部にとって、できるだけ扱いやすい人物を選ぶ“監督人事の伝統”がある。

森 昌利

もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。

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