田中陽子、人生観を変えた震災の経験 “今の自分”を作った福島への思い【#これから私は】
【インタビュー後編】遠征先のロシアで知った2011年3月11日の東日本大震災の惨状
未曾有の災禍となった東日本大震災から、節目の10年が経過した。地震、津波、火災、原発事故……。死者1万5900人、行方不明者2525人にのぼる被害を生んだおぞましい日を風化させてはいけない。福島第一原子力発電所の近隣に位置するJFAアカデミーの1期生で、スペイン女子1部スポルティング・ウエルバに所属するMF田中陽子は、「アスリートとして何もしない選択肢はない」と、復興活動への思いを強めている。(取材・文=Football ZONE web編集部・小田智史)
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「今、東北で大きな地震があって、ニュースになってるからそっちでも見て!」
東日本大震災が起こった2011年3月11日、高校2年生だった田中はU-19日本女子代表の合宿でロシアのソチにいた。山口県に住む母親から電話があり、慌ててテレビをつけると、大きな被害を受けて様変わりした東北の光景が目に飛び込んできて言葉を失った。
「私はロシアに行っていたので震災には遭わず、海外で知りました。本当にびっくりして、すぐに(福島にいる)チームメートや友人に電話をして状況を確認して。ちょうど学校から帰って、練習の準備をしている時間帯。もうグラウンドに着いている人もいれば、まだ寮で準備をしている人もいました。私の友人や知り合いは無事でしたが、友人の友人が亡くなったりして、ショックは大きかったです」
JFAアカデミーのあった双葉郡楢葉町は、福島第一原子力発電所から20キロ圏内のため、立ち入り禁止の「警戒区域」に設定。参戦したKUBAN SPRING 2011に優勝し、ロシアから帰国した後も福島には戻れず、田中は山口の実家に帰るしかなかった。
JFAアカデミーは震災と原発事故の影響で、静岡県の御殿場へ一時的に移転。そこで1年を過ごし、2012年にINAC神戸レオネッサへ入団した田中が震災後に初めて福島の地に戻るまでに、3年の月日を要した。2014年1月12日、同期メンバーと連絡を取り合い、避難先のいわき市で行われた成人式に出席し、現地の状況を自分の目で見ることになる。
「地元の知り合いが地割れの写真とかを撮って送ってくれて、アカデミーのあったJヴィレッジの状況はニュースでも報じられていたので、大変な状況は知っていましたが、初めて福島に戻って、自分の目で見たのは成人式の時。その時もまだ復興してなくて、車が倒れていたり、流されてきた物がそのままになっていました。本当はすぐに福島に戻りたかったけど、戻れなかった。多くの方が同じ気持ちだったと思います」