再び“希望の光”に―― 手倉森監督、震災から10年に馳せる東北人魂【#これから私は】

再び仙台を率いる立場となった手倉森誠監督【写真:Getty Images】
再び仙台を率いる立場となった手倉森誠監督【写真:Getty Images】

震災から節目の10年で再び仙台へ「とてつもない試練が目の前に待ち受けている」

 10年前の3月11日、東北を未曾有の災禍が襲った。東日本大震災――。多くの命を奪い、人々の心に影を落とした出来事から節目の10年。再びベガルタ仙台を率いる立場となった手倉森誠監督は、「心の復興に貢献していかないといけない」と思いをにじませている。(取材・文=Football ZONE web編集部・小田智史)

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 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が起こった瞬間、手倉森監督は翌日の試合に向けた準備で仙台のクラブハウスにいた。激しく揺れて天井が落ちる部屋から必死で外へ逃げ、なんとか危機を逃れた。チームはその後一時解散となり、リーグ戦も中断。地震や津波で大きな被害を受けた街の光景に心が痛んだ。しかし、その地に拠点を置くクラブの指揮官だからこそ、選手たちを懸命に鼓舞した。

「被災地の希望の光になるんだ」

 Jリーグが再開した4月23日、仙台は敵地での川崎フロンターレ戦に2-1で劇的な逆転勝利を収め、駆け付けたサポーターと喜びを分かち合った。同シーズンはリーグ戦4位(14勝14分6敗)、翌12年シーズンにはクラブ史上最高の2位(15勝12分7敗)に躍進した。

 手倉森監督にとっても、東日本大震災の経験は人生観・価値観を大きく変えるものだったという。

「あの大きな震災を受けた時に、我々はサッカーをやっていることが当たり前じゃなく、“サッカーをさせてもらっている”と価値観が変わりました。東北で多くの方々が命をなくしたのを知った時に、自分たちは生かされているんだ、と。生かされている者の使命は、懸命に生きること、誰かの生きがいになろうとすること。そう思うようになりました」

 現チームで2011年当時を知る選手はMF関口訓充とMF富田晋伍、2012年も含めればDF蜂須賀孝治(同年は特別指定選手)を加えた3人のみとなった。人々の懸命の努力により復興が進められてきたなかで、手倉森監督は10年間を「ものすごく早かったなと思います」と振り返る。

「本当に多くの出来事がありました。自分はこの10年、試されて生かされてきたと考えています。試された部分に関しては、しっかりと乗り越えてこれたと自負していますが、震災から10年のタイミングでもう1回ベガルタ仙台に必要とされて、さらに大きな十字架を背負って仕事に挑むことになった。また、とてつもない試練が目の前に待ち受けています。自分はなんでも物事をこじつけてしまうんですけど(笑)、あの当時を戦った選手が3人残っていて、サッカーの試合は11人。『3.11』なんだな、と。だからこそ10年目に、何かをしてみせようと思っています」

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