元ブラジル代表MFとJリーグの6年半 今も忘れないフリューゲルスでの「人生を賭けた戦い」

フリューゲルス時代を振り返ったセザール・サンパイオ【写真:本人提供】
フリューゲルス時代を振り返ったセザール・サンパイオ【写真:本人提供】

日本での6年半に贈る感謝の思い「タノシイ ジカン、アッタネ。マタ コンドネ」

 ブラジルやスペインでのプレーを経て、2002年に柏レイソルに行った時は「日本での自分の役目は終わっていなかったと感じられて、すごく幸せだった」と語る。

 その年、J2降格の危機に陥りながらも、最終節、当時上位を争っていたガンバ大阪に2-0で勝利し、J1残留という目標を達成した。

 翌年からは、サンフレッチェ広島でプレー。J2に降格し、1年でJ1に復帰することを目標に、若手主体のチームをピッチの内外でリードすることが期待されていた。

「いろんなことがあったよ。開幕から良いスタートを切って、僕らはリーグの大半の時期でトップを走っていたんだ。でも、上手くいきすぎると、選手たちの気が緩んだり、逆に、3位まで落ちた時は、意気消沈してしまった。だから、スタジアムにいるみんなを巻き込むために『神の手助けとともに、僕らはJ1に復帰する』と書いたシャツを作って、選手全員に配ったんだ。そのシャツをユニフォームの下に着てプレーし、試合が終わったら、それをサポーターに投げ込んだ。時には、何か違ったことをやってみるのが、良いきっかけになるから。実際、サポーターもまた、支えてくれるようになった。『サイゴマデ、ガンバロウ!』ってね。そうやって、みんなでJ1復帰を達成したんだ」

 サンパイオの家には今でも、サンフレッチェのシンボルである“3本の矢”が飾ってあるという。

 彼が日本で大事にしていたのは、チーム内外で、常に会話をすること。そのために日本語も学んだ。締めくくりに、サポーターへのメッセージを頼むと、愛情のこもった言葉が溢れ出てきた。

「好きな日本語がいっぱいあるよ。ダイスキ。アイシテル。それから…、ユウショウ!(笑)。ガンバッテ。ガンバリマショウ。そして、すごく力が湧く、強い言葉。サイゴマデ、ガンバロウ! メッセージ、伝わるかやってみるね。

 ワタシノ ニホンゴ、アマリ ヨクナイケド、マーマー。チョット ペラペラ(笑)。ミナサン、オヒサシブリ ケド、マダ ニホン ワスレテナイ。ニホンノ ロクネン オボエテルネ。サポータータチ ニ、ヨロシク。ホントウニ、 タノシイ ジカン、アッタネ。マタ コンドネ。アリガトウゴザイマス。ドーモ!」

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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