「今でも忘れられない」 元日本代表DFが現役時代を回顧、「鳥肌が立った」瞬間とは?

浦和時代の永田充氏【写真:Getty Images】
浦和時代の永田充氏【写真:Getty Images】

【元プロサッカー選手の転身録】永田充(元浦和ほか):ホン・ミョンボに憧れ柏へ、2人の先輩CBに感銘

 かつてJリーグの柏レイソルやアルビレックス新潟、浦和レッズでプレーした元日本代表DF永田充は、今年2月に現役引退を発表した。J1通算272試合の実績を誇り、16年限りで浦和を退団後はJ2の東京ヴェルディ、関東リーグ1部の東京ユナイテッドFCでのプレーを経てスパイクを脱ぐことになった。

 日本代表にまで上り詰めた37歳のセンターバックは今、東京ユナイテッドのユニフォームスポンサーである大手総合建材メーカー「文化シヤッター」に入社。栃木県小山市の小山工場で勤務している。意外なセカンドキャリアを歩み始めた永田を直撃し、自身の18年間に及ぶプロ生活を振り返ってもらった。

(取材・文=河野正)

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 永田は静岡県の強豪、静岡学園高校で1年生からレギュラーとなり、全国高校選手権には2度出場し、第78回大会で8強、主将を務めた第80回大会はベスト16に進んだ。

 大型DFとして注目を集め、Jリーグ柏レイソルは1年生の頃から獲得に強い関心を示した。地元の清水エスパルスとジュビロ磐田からも誘われたが、最初に声をかけてもらった柏へ2002年に加入した

 1990年のイタリア大会からワールドカップ(W杯)に4大会連続出場した韓国代表のスター、ホン・ミョンボが柏に在籍していたことも大きい。「ミョンボさんは憧れだったし目標でしたが、僕と入れ替わりで退団してしまいがっかりした」と述懐する。

 それでもクラブはホン・ミョンボの後継者に永田を指名し、韓国代表DFが付けていた背番号20を与えた。1年目のJ1第2ステージ途中から3バックの一角で先発すると、2年目からはレギュラーに定着。ジーコ監督の目にも留まり、日本代表に初招集される。イラク戦争の影響により、8カ月遅れで開催されたワールドユース選手権(現U-20W杯)では日本の8強入りに尽力した。

 Jリーグデビューを果たした試合の相手は、後に移籍する浦和レッズで、02年9月18日の第2ステージ第4節、延長前半7分から登場。1-1で引き分けた。

「あの試合はとても感慨深かった。たくさんのお客さんが入った(浦和)駒場スタジアムで、プロのサッカーを肌で感じることができた。短い出場時間だったけど、緊張していっぱいいっぱいでした」

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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