「それを背負うだけの重みと責任がある」 J復帰の柿谷曜一朗がつけるセレッソ大阪「8」番の系譜

“天才”が抱き続けていた揺れる思いとは…

 香川の移籍以降、8番は空き番となるも、11年にC大阪で、U-22日本代表、そしてA代表で、八面六臂の活躍を見せた清武が12年は8番をつけることになった。当時の心境について清武は、「うれしかったけど、自分は自分」とあえて自然体で挑んだ。

 12年は、2年半に及んだ徳島ヴォルティスへの期限付き移籍から、柿谷曜一朗が復帰した。シーズン前、清武が8番をつけることについて尋ねると、「いいんじゃないですか」と少々ぶっきらぼうな答えが返ってきた。そして「チームを背負う気持ちは譲れない」とも。8番に強烈なこだわりを持つ彼に軽々しく聞き過ぎたと少し反省したが、そこには以前、香川に8番が継承された時のような心が乱されている様子はなかった。

「キヨも8番の重みは理解している」。そんなエールも送り、柿谷自身もレギュラーをつかんだ。半年後、清武も海外移籍を決断する。C大阪へ移籍当初は「海外でプレーすることは考えてもいなかった」清武だが、「悩みに悩んだ」末にドイツのニュルンベルクへの移籍を決意。香川のドルトムントでの活躍に刺激を受けたことは想像に難くない。ここにも8番の影響力は及んでいる。

 

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