伝説の“40m芸術FK弾”を決めた元Jリーガー ビジネスマンへの転身と「日本に恩返し」の夢

現在はビジネスマンとしての日々を過ごす【写真:本人提供】
現在はビジネスマンとしての日々を過ごす【写真:本人提供】

“仕事”として厳しい監督業を一時的に離れ、ビジネスマンに転身

 当時、エドゥーは監督としての夢をこう語っていた。

「僕は選手時代に、ブラジル代表としてプレーするという目標を達成した。だから、監督としてもブラジル代表に到達したい。それを目標にせずして、なぜこの仕事をするんだ、というぐらい、強い気持ちで目指しているよ」

 そして、もう一つ夢があった。

「日本で仕事をしたい。選手時代、教養ある文化をもって、僕らを受け入れてくれたこと、そして、日々の生活のなかでも僕ら家族に伝えてくれた、日本人の素晴らしいスピリット、そういうすべてに、今度は監督として恩返しがしたいんだ」

 そんなエドゥーが、現在は監督業を中断し、ビジネスマンに転身している。理由は、数試合でも負ければ、簡単に解雇されるブラジルサッカー界の体質。そして最大の問題は、「給料を受け取るのが難しい」という状況にある。

「あるクラブで仕事をするのに、経営が困難だということで、まず施設や設備、ピッチのコンディションなど様々な環境が改善されない。それでも精一杯やるんだよ、ピッチの中でも外でもね。だけど、月末になっても給料が支払われない。そういうことが2、3のクラブで続けば、考えるよね。『僕はここで何をしているんだ?』と。それに、こういう状況は、僕が選手として築いた栄光まで汚してしまうかもしれない。それで決断したんだ。僕は人生を通して、サッカーとともに過ごしてきた。それを消し去るようなことをするべきじゃない、とね」

 その後は、依頼された講演などを引き受ける一方、二つの会社を手がけている。一つは、企業イベントの企画運営会社。もう一つは、コーポレートギフトの制作会社だ。その両方とも成功し、経営は安定。今後も続けていくというエドゥーだが、彼の心にあるサッカーの灯が、消えたことはない。

「1日の仕事を終えた後は、まずサッカーのニュースを見るんだ。そして、ブラジルや世界中のサッカーを見て研究している。それに、サッカーに関する講座を受けたりもしている。自分の知識を更新するためにね。もし、明日オファーが来て、そこに僕が考える最低限の仕事の環境があるとしたら、僕は何も問題なく、監督業に戻るだろう。会社はすでに、僕が動かなくても回っていく段階にあるけど、サッカーには僕にしかできないことがあり、サッカーは人生そのものだからね」

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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