香川真司と「10番信仰」 本能的な技術と創造性、“日本らしさ”を具現化した稀有な存在

2018年W杯出場時の香川真司【写真:Getty Images】
2018年W杯出場時の香川真司【写真:Getty Images】

【歴代名手の“私的”技術論|No.5】香川真司(日本代表MF): ボール扱いは非常に巧みで俊敏、柔よく剛を制すアタッカー

 香川真司は日本人が好む、日本人らしい選手ではないだろうか。

 身長は平均ぐらいで、特別な身体能力に恵まれているわけではない。しかしボール扱いは非常に巧みで俊敏、柔よく剛を制すイメージ。1980年代あたりからの“10番信仰”とも関係がありそうだ。

 80年代は世界的に2トップが広まっていった。同時に、2人のFWより少し引いたところに位置するトップ下が注目された。ディエゴ・マラドーナ、ミシェル・プラティニ、ジーコはいずれもこのポジションで活躍した大スターで、背番号は10番だった。FWにラストパスを供給し、自らもゴールを狙う。技術と創造性を発揮する10番は子供たちの憧れだった。日本では漫画の『キャプテン翼』の影響もあっただろう。

 10番はもともと左側のインサイドフォワードの番号だ。FWは5人編成で、右から7~11番のポジション番号が割り振られていた。10番を有名にしたのは、1958年スウェーデン・ワールドカップ(W杯)で活躍したペレである。

 この時のブラジルはポジション番号ではなく、自分たちで決めた番号ですらなかったのだが、なぜかペレは本来のポジションどおりの10番だった。登録リストに背番号が未記入だったので、組織委員が適当につけた番号だったそうだ。17歳のペレがレギュラーになったのは大会途中なので、普通に番号をつけていたら10番ではなかったはずだ。

 このスウェーデン大会のブラジルは、従来のWMシステムから4-2-4を生み出し、右のインナー(8番)は少し引いてプレーメーカーとなり、10番は前線近くに残った。やがて「ペレ=10番=トップ下」ということで定着したわけだ。

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西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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