日本史上最高レベルの「パスを呼び込む才能」 日韓W杯では“身体能力”もエグかった

柳沢がいなかったら…ベルギー戦の攻撃は成立しなかった

 この試合を見返して、もう一つ驚かされたのが柳沢敦だ。

 自分よりはるかに大きなベルギーのDFを相手に、ロングボールの競り合いで優位に立っていた。ジャンプ力、フィジカルコンタクトの強さ、ポジショニングのアジリティー……驚異の身体能力だった。こんな選手だったっけ?

 当時の柳沢の印象と言えば「上手いFW」だ。

 受けの名手で、鋭角的なプルアウェイで難なくマークを引きはがしてパスを受けていた。動くタイミングも素晴らしく、早すぎず遅すぎず。パスの出し手とタイミングが合わない時は、動きを止めずに連続的に受けるための場所を作っていく。この受けの能力が抜群なので、それだけシュートチャンスも多くなる。その割には決定力がいま一つだったのが玉に瑕だったが、自分の動きでラストパスを呼び込む才能は日本史上で最高レベルだったと思う。

 鹿島アントラーズではそうした洗練された受けの技術で勝負していたので気づかなかったのだが、02年のベルギー戦を見返してみると身体能力がエグい。もし柳沢がいなかったら、ベルギー戦の攻撃はまったく成立していなかっただろう。

 相棒の鈴木隆行も体が強く、この試合では印象的な同点ゴールを決めている。小野伸二からの縦パス1本だった。5秒ごとにぶつかり合うような試合展開、互いに1本か2本のパスでフィニッシュへ結びつけようとする。ディフェンスラインの裏はどちらも空いているが、その手前は詰まっていて、4年前のように手数をかけるための場所がない。一発狙いのやり合いは、トルシエ監督が言っていた「15秒×200回」そのものだった。

 98年の日本代表は日本らしかった。今で言うなら「ジャパンズウェイ」だった。02年は全然日本らしくはない。ただ、たぶんトルシエ監督は正しかった。

 ヨハン・クライフは「結果が出るまでは狂人扱いされるもの」と言っていたが、トルシエもその意味では天才型の監督だったかもしれない。ただし、結果が出ても天才とは評価されていないので、やっぱり変人のほうが近いのだろう。

西部謙司

1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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