“生粋の浦和っ子”堀之内聖 「幸せ者」が愛する街と歩み続けるサッカー人生

サッカー塾のスタートにあたり、堀之内塾長は恩師の福島智紀氏(右)をヘッドコーチに迎えた【写真:河野正】
サッカー塾のスタートにあたり、堀之内塾長は恩師の福島智紀氏(右)をヘッドコーチに迎えた【写真:河野正】

地域への恩返しを誓う「子どもたちの成長に寄与したい」

 プロになって1年目は公式戦出場がなく、ずっとサテライト(2軍)で過ごした。“石の上にも3年”で、4年目の05年からはストッパーとしての才能を開花し、守備の要人としてたくさんのタイトル獲得に貢献。優勝した05年度の清水エスパルスとの天皇杯決勝では、豪快な先制ヘッドを突き刺した。日本勢として初の快挙を達成した07年のAFCチャンピオンズリーグは、セパハンとの決勝2試合にフル出場し、アジア王者へと栄達した。

 浦和には11年までの10シーズン在籍し、翌年は横浜FCで、13年は山形でプレーして引退した。14年2月1日付で浦和に戻り、事業本部パートナー営業部で3年間従事すると、強化部に異動して今季で3年目を迎えた。

 塾長はこれまでの人生について、感慨深げに滔々と語った。「浦和で生まれて浦和で育ち、浦和の学校に通い、日本を代表する浦和のプロフットボールクラブで選手としてプレーし、そしてまたクラブスタッフとして籍を置かせてもらっている。そんな自分は幸せ者という一言に尽きます」

 これからはクラブと地域への恩返しに粉骨砕身するという。本物の浦和の男は、「課せられた役割はチームを強化し、クラブ運営を安定させること。これに加え、今回発足したサッカー塾で子どもたちの成長に寄与することです」と誓った。

(河野 正 / Tadashi Kawano)



page1 page2

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング