“生粋の浦和っ子”堀之内聖 「幸せ者」が愛する街と歩み続けるサッカー人生

「選手として人として成長してほしい」と意気込む堀之内塾長【写真:河野正】
「選手として人として成長してほしい」と意気込む堀之内塾長【写真:河野正】

クラブの黄金期を知る堀之内氏、古巣浦和で「サッカー塾」を創設

 Jリーグ浦和レッズがこのほどスタートさせた、小学生を対象にしたサッカー塾の統括責任者が強化部スタッフでもあるOBの堀之内聖塾長だ。

 旧浦和市で生まれ、大学4年間とJ2横浜FC、モンテディオ山形に在籍していた2シーズンを加えた6年間を除けば、ずっと旧浦和市に居を構える生粋の浦和っ子なのだ。

 浦和三室サッカー少年団時代から豊かな才能を認められ、少年団の選抜チームであるFC浦和の一員にも名を連ねた。サッカー部の後輩が、夏の全国中学校大会で優勝した強豪の浦和三室中学から、これまた超名門の浦和市立(現さいたま市立浦和)高校へ進学。日本代表でも活躍し、日本リーグで16年にわたり260試合連続出場という前人未踏の大記録を持つ落合弘氏をはじめ、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)などを指揮した清水秀彦氏、日本女子代表を率いた鈴木保氏ら多くの名選手を輩出した埼玉県を代表する古豪である。

 堀之内塾長は1996年度の第75回全国高校サッカー選手権に出場。2年生ながらボランチとして中盤をリードし、中列後方から力強いドリブルで持ち上がり、チャンスを演出した。準々決勝では中村俊輔(ジュビロ磐田)を擁する神奈川・桐光学園に善戦したものの0-1で惜敗。翌年も主将として選手権の埼玉県大会決勝に進んだが、浦和東に1-2で逆転負けした。同大会では2年続けて優秀選手に選ばれる、当時から凄腕のMFでもあった。

 東京学芸大へ進んでからも成長を続けて活躍し、4年連続で関東大学リーグのベストイレブンに選出された。2001年のユニバーシアード北京大会では、日本に3大会ぶり2度目の金メダルをもたらした。堀之内塾長をはじめとするこの時のレギュラー5人が翌年、浦和へ加入。筑波大の平川忠亮、福岡大の坪井慶介(レノファ山口)、駒沢大の三上卓哉、国士舘大の山根伸泉だった。

 塾長の浦和レッズと郷土・浦和への情愛はとても深い。

「Jリーグがスタートしたのが中学2年生の時。(95年の第3次改修前で)まだ浦和駒場スタジアムのフェンスがあまり高くなかったので、友だちと一緒によじ登って見ていました。1万人しか収容できず、チケットが全然買えなかったんですよ。でも警備員の人がすぐに来て降ろされちゃいました(笑)。駒場はとにかく観客の熱気がすごくて、やっぱり浦和はサッカーの街なんだと強く感じたものです」

 堀之内塾長の幼少期から、旧浦和市の少年団は野球人口よりサッカーのほうが多く、近所の友だちと遊ぶのも小学校に行って遊ぶのもサッカーだった。サッカーボールと触れ合うのが生まれた時からの環境で、これが先人から受け継がれてきたこの街の伝統なのだ。

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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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