浦和OBと恩師、20年以上の絆が生んだ“邂逅” 「将来のW杯戦士を育てる」新たな挑戦

情熱とアイデア、飽くなき探求心が旺盛な福島ヘッドコーチ【写真:河野正】
情熱とアイデア、飽くなき探求心が旺盛な福島ヘッドコーチ【写真:河野正】

元Jリーガーの堀之内氏、古巣浦和で「サッカー塾」を創設

 Jリーグの浦和レッズが新規事業として今季創設した「サッカー塾」は、強化部スタッフの堀之内聖氏が塾長として統括業務をこなし、福島智紀ヘッドコーチと加賀雅士コーチが主に指導に当たるトロイカ体制で運営している。

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 3人の関係は邂逅という古めかしい言葉がぴったりで、なかでも塾長とヘッドコーチは、まさしく合縁奇縁といったところだ。

 3月末まで埼玉県立本庄高校教諭だった福島氏は、1994年度の人事異動で浦和市立(現さいたま市立浦和)高校へ転勤し、サッカー部Bチームのコーチに就いた。2年目に堀之内氏が入学してきたが、往時から名うてのMFでAチーム所属とあり、福島氏が直接指導することは3年間なかった。

 しかし東京学芸大に進んだ頃から2人は指導する側、される側という高校時代にはなかった新たな関係を築く。堀之内氏が感服する。

「実は大学やプロになってから、福島先生にボールの蹴り方や体の使い方などの指導を仰いでいたんです。いろんな提案をしてもらい、自分に合ったものを取り入れました。先生の凄いところは、常にブラッシュアップして新しいものを学ぼうとする姿勢です。これは見習いたい」

 福島氏は97年から3年間、福島県Jヴィレッジに自腹で赴き、U-17のナショナルトレセンを頻繁に、詳細に視察。「日本協会では今、こんなことを教えていると伝え、撮影したビデオを編集して大学生の堀之内に渡していました」と述懐する。

 2年以上前からサッカー塾の構想を温め、福島氏をヘッドコーチに招請すると決めていた堀之内氏は、「一番の理由はサッカーへの情熱ですが、技術指導だけで終わる塾にはしたくなかった。教育的側面、人づくりも重点項目なので教員生活30年の実績を持つ先生以外に考えられませんでした」と全幅の信頼を寄せる。

 ところが安定した公務員を辞め、契約業務となれば解約もあるのだから、火中の栗を拾うようなもの。口説き落とすのは容易ではなかった。

 説得工作の1回目が一昨年9月にさいたま市内で、2回目の昨年6月は堀之内氏が本庄市まで出向いて話し合った。前向きに検討し始めたものの「妻と母に猛反対された」と福島氏。それでもなんとか奥さんを懐柔し、昨年11月の3度目の交渉で合意に至った。

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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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