86歳でも”現役”「まだ始まったばかり」 常識破りの健康維持…初代得点王が示す「だから走れる」
2月10日に86歳の誕生日を迎えた野村六彦は、現在東京都オーバー(O)80とO-75の両リーグでプレーしている。年齢に応じて、東京都連盟からはゴールドや紫のパンツが贈呈されるそうだ。

野村六彦は日本リーグで初代得点王に輝いた
2月10日に86歳の誕生日を迎えた野村六彦は、現在東京都オーバー(O)80とO-75の両リーグでプレーしている。年齢に応じて、東京都連盟からはゴールドや紫のパンツが贈呈されるそうだ。
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この年齢で公式サイズのピッチを走り回りプレーしていることが驚きでしかないが、自身は「現役時代は90分間だったわけだから、20分(ハーフ)ではまだ始まったばかりだよ」と零(こぼ)す。
2年前には、東京都代表としてシニアワールドカップに出場。欧州選抜、米国、オーストラリアなどの精鋭と戦い、肩を強打したが、しっかりと復帰を果たし「やっと(肩の状態も)落ち着いてきた」と笑みを湛えた。
O-75リーグが月曜日、O-80は金曜日に開催されるが、他に東京都や神奈川県で行われている練習会(O-60)にも参加しているので、ほぼ毎日のようにボールを蹴っていることになる。さすがに練習会でレジェンドにムキになってチャージしてくる年下選手は見かけないが、それでも慌てることなく背筋を伸ばして周囲を睥睨(へいげい)し、シンプルにボールを散らす様は風格を感じさせる。
「練習会は1時間半から2時間くらい。空いた時間があれば、近くの飛行場の芝生に出かけてリフティングをしたりして軽くトレーニングをすることもある。指導者時代も含めて、サッカーを始めてからボールに触れる機会を絶やしたことはありません。暫くボールに触れていないと気持ち悪くなるんだ」
野村は1940年、8人兄弟の5番目で生を受けた。
「戦時中で男の子を産むと国から表彰されました。10人家族で男の子が5人。大所帯のようですが、周りも多かったので珍しくはなかった。5歳で広島が被爆しますが、父がその1年前に疎開をした。運命を分ける重要な決断でしたね。家は爆心地にありましたから。小さい頃は“川男”と呼ばれるほど川遊びが好きで、山もよく駆け巡っていました」
小学6年生までは野球少年だった。しかし、入学した国泰寺中学(旧広島一中)がサッカーの名門だったので転向した。
「3階建ての校舎の窓を開けると、斜めから高校のグラウンドが見えるんです。国泰寺高校のグラウンドにはスタンドもあり、日本リーグ(JSL)も開催されたほどですが、高校の試合でも両校の生徒たちが集まって来て応援をする。修道のような男子校だと低音ばかり響きますが、国泰寺は共学なので女子の高音も交じりなかなか爽快でした。そんな光景に接したこともあり、サッカーは面白いな、と思ったんです」
もちろん土のグラウンドで、サッカー部にボールは3個くらいしかなかった。
「スパイクは裏に下駄の歯が3本入ったようなもので、神戸に輸入されて広島に入って来た。練習はみんなで輪になってインステップを蹴りあったり、GK目がけて次々にシュートを浴びせたり…。ヘディングのクリアー練習も多かったですね。技術的なことは何も教わらず、ひたすら上級生のキックを怖がらずに目を開けて跳ね返していました」

ベッケンバウアーも行った“反復練習”
全国高校選手権で優秀選手に選ばれ、中央大学2年時には日本代表として欧州遠征に参加して、デュッセルドルフ空港に出迎えたデットマール・クラマーに出会った。
「小柄でしたが、目がギラギラしていてとても厳しい。典型的なドイツの指導者のイメージでした」
野村はクラマーから初めて理論建てた指導を受け、正確な技術を習得していった。
「インサイドキックひとつをとっても、我々が蹴るとボールがクルクル回転してしまったりする。綺麗にボールが走るキックが出来るまで何度も何度も反復させられました。最初はどうしてこんなに繰り返しやらされるんだと思いましたが、それは(フランツ)ベッケンバウアー(皇帝と呼ばれた名手で主将、監督としてワールドカップを制覇。ユース代表時代にクラマーの指導を受けた)もやって来た練習だったんですよね」
こうしてJSL初代得点王で日本最優秀選手にも選ばれた名手は、今でもボールを蹴り続けている。さすがにトップレベルで競い合った同年代の仲間と、同じピッチで戦うことはなくなった。
「やっぱりそれは寂しいよね…」
健康維持の秘訣は、食べても太らないこと、それにこの年齢では常識破りとも言える睡眠時間の十分な確保だ。
「食べる量は多いと思いますが、全然太らない。だから走れるんです。酒も食欲増進のために缶ビールを2本程度。夜も途中で起きることはありますが、8~10時間くらいは眠るようにしています」
さてアマチュア時代を牽引してきたレジェンドの目には、今の日本サッカーがどう映っているのだろうか。
「とにかく守備が良くなっています。それは後ろでやる守備ではなく、前がかりの守備です。攻撃を仕掛ける。時には相手にボールが渡るのですが、その瞬間に奪いに出る。奪ったら即座に方向づけをしていく。それを全員がやっている。ボクシングでジャブが重要なのと同じですよ。いつもジャブを繰り出していれば、相手は入って来にくい。サッカーでも、こうした攻撃的な守備があれば、相手はプレッシャーを感じるわけです。日本代表が最もレベルを上げている部分です」
ピッチを離れても、よく動くそうだ。最寄り駅まで通常はバスを使うが、気が向けば夫人にひと声かけて約4㎞の道のりを平然と速足で進んでいく。
「ちょっと行ってくるよ」
背筋を伸ばして颯爽と風を切っていくのは、ピッチの上と変わらない。(文中敬称略)
(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。






















