釜本邦茂が外したメダル「本当に負けず嫌い」 点取り屋→リンクマン…日本サッカー変えた「走る日立」
86歳となった今もプレーを続ける野村六彦は、国泰寺中学入学後にサッカーを始めて8年後には日本代表に選出される早熟ぶりだったが、同時に息の長い現役生活を送り40歳まで第一線で活躍した。

野村六彦は日立製作所でリーグと天皇杯の2冠を達成した
86歳となった今もプレーを続ける野村六彦は、国泰寺中学入学後にサッカーを始めて8年後には日本代表に選出される早熟ぶりだったが、同時に息の長い現役生活を送り40歳まで第一線で活躍した。
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中央大学4年時に天皇杯全日本選手権を筆頭に全タイトルまで独占したことは前回紹介したが、日立時代の1972年にも日本リーグ(JSL)と天皇杯の二冠を牽引。日本最優秀選手(MVP)に選ばれた。
転機になったのは、元日本代表監督の高橋英辰が日立の指揮を執るようになり、野村をリンクマン(攻守の繋ぎ役=現代のボランチ)にコンバートしたことだった。
「転向したというよりは、自然にMFでプレーするようになった感覚でした。(デットマール)クラマーさんが提唱した3B(ボディ・バランス、ボール・コントロール、ブレイン)のレベルが上がるにつれて、どこでプレーしても何をやるべきかの判断力は身についていましたからね」
ただ、日立の監督に復帰した高橋は、まだチームにはボディ・バランス(フィジカル)が不足していると考えたようだった。
「酒もたばこも一切やらない真面目一徹な人でした。サッカーをプレーしていれば、面白いからボール・コントロールやブレインは自然に向上していきます。でも運動能力、特に走ることは、あまり楽しくないこともあり、十分ではないと判断したのでしょうね。走る専門のコーチを連れてきて、徹底的に走らされました」
こうしてそれまで中位に低迷していた日立は、高橋監督の就任4年目で開花。「走る日立」のキャッチフレーズ通りに運動量で圧倒しリーグと天皇杯で、いずれも頂点に立った。
「監督は120分間でも走り切れる体作りを目指していたようです。25歳くらいから走らされて、27~28歳くらいが最もキック、ドリブル、切り返し、長短のパスなどの技術が冴えていたと思います。やはりサッカーは動けないと意味がない。体がばててしまうとボールコントトロールも落ちてミスパスも出るし、戦術(ブレイン)も機能しなくなる。十分に動けて初めて技術や判断力が活きるのだと実感しました。だからチームの調子が悪くなると、必ず走り込みをしていました」
二冠から2年後、コーチ兼任の野村は、日立の後輩松永章、河野和久とともにパルメイラスの合宿に参加している。
「やはりパスメイラスも走る専門コーチがいて、よく走っていました。勉強熱心な高橋監督は、世界の情勢もよく調べていたのだと思います」

2014年には日本サッカー殿堂入りを果たした
日立の主将として1972年度の天皇杯を掲げた野村には鮮烈な記憶が残っている。決勝戦の相手はヤンマー。リーグ戦でも最後まで優勝を争った相手だった。
開始早々に先制を許すが、前半のうちに追いつくと、後半22分には野村のクロスを松永が頭で決めて逆転。終了後の表彰式では、隣で銀メダルをかけられたヤンマーのエース釜本邦茂が、即座に外してしまった。
「本当に負けず嫌い。でも別格の凄いストライカーでしたね。試合前にスタンド下の通路を一生懸命走り、入念に準備をしていた姿を思い出します」
クラマー招聘前の日本は、自国開催のアジア大会でもグループリーグで敗れていた。その後1964年の東京五輪でベスト8、4年後のメキシコ五輪では銅メダルを獲得し、今に繋がる基盤を築き上げていく。野村は、そんな草創期を支えた希少な創造性豊かなテクニシャンであり、2014年には日本サッカー殿堂入りを果たした。
「サッカーは世界中でやっている。だからサッカーを通じて世界の文化にも触れ、何種類かの言葉も覚えることが出来た。それにサッカーは、時間が定められた競技です。時間帯により戦い方を考えて、試合を構築していかなければならない。そういう意味では、時間を考えてマネージメントしていく能力も身につけられたと思います。そして足でボールを扱うから容易ではないけれど、だからこそ奥が深い。そこが面白いんです」
既に76年間もプレーし続ける野村に、サッカーに出会わなかった人生を想像してもらった。しばし沈思黙考の末に「野球をやっていたかもしれないね」と返って来た。
「あのショートバウンドを補る感覚が気持ちいいんだよね」
77年以上遡った野球少年時代の快感を蘇らせたような笑顔だった。(文中敬称略)
(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。





















