ドイツ1部で活躍する日本人「面白いなと」 見学者→コーチへ…責任者から「許可を」

ライプツィヒの育成現場で活躍する荒岡修帆【写真:Niv Abootalebi】
ライプツィヒの育成現場で活躍する荒岡修帆【写真:Niv Abootalebi】

ライプツィヒ育成アカデミーのU12-U16でフィジカルコーチを務める荒岡修帆

 ドイツ1部ブンデスリーガのRBライプツィヒで、育成現場に関わる日本人がいる。荒岡修帆30歳。現在ライプツィヒ育成アカデミーのU12-U16でフィジカルコーチとして活躍中だ。ドイツへ渡ったのは2016年4月で、それから10年あまりを当地で過ごしている。(取材・文=中野吉之伴/全3回の1回目)

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 なぜ荒岡は日本を飛び出して、ドイツ行きを決断したのだろう?

「それまでスポーツ科学をアカデミックに勉強をしたことがなかったんですが、ドイツにはその分野において歴史と伝統があるなと感じて、まずドイツを選んで、それからライプツィヒとケルンの大学まで絞ったんです」

 候補は2つ。ケルンか、ライプツィヒか。荒岡が最終的に選んだのは、後者だった。

「ライプツィヒは日本人がほとんど来てなかったし、今もほとんどいない。だからですかね」

 日本人が少ない土地。今以上に情報は少ないし、助けも少ない。それでも選んだのは、だからこそ得られない学びがあると見ていたからだ。

「ライプツィヒの理論っていうのは本もいくつか出されているし、『ライプツィヒ学派』といわれるところもあったりするので、そういうところで学べたら面白いなと思ったんです。それにRBライプツィヒという新興クラブがあることも魅力でした。育成に力入れているのを知ってましたから。条件的には全部そろっていたところだったんです」

 勢いだけで飛び込むのではなく、自分の目的に対して必要な環境を並べ、選び取っているのがうかがえる。では、そもそもなぜ彼はスポーツ科学を学ぼうと思ったのか。キャリアの出発点は、自分自身が負った怪我の経験だった。

「僕はもともと日本で理学療法学科に通っていたんです。それは自分が子どものころに怪我しがちで、長いリハビリ期間があって、そのときに自分の身体が変わったという感覚がありました。それで身体のことに興味を持ち始めて、その流れで理学療法学科に進んだんです」

 目指したのは、トレーナーやフィジカルコーチとしてパフォーマンスを上げる、そして怪我を予防するという役割だった。

「身体のパフォーマンスを上げるとか、怪我の予防をやりたかった」

 ドイツ行きを決めたとき、理学療法で進むか、スポーツ科学を学ぶかで迷いもあったという。

「理学療法って、もともとがリハビリ、怪我した後どうするっていう役割だと思うので。それよりも今選べるのであれば、怪我する前にアプローチできる立場がいいなと思いました。それでスポーツ科学を勉強しようと」

「治す」の前に、「怪我を起こさない」

 この視点は、その後の現場での動き方にもつながっていく。

 ライプツィヒ大学に通いながら、荒岡は育成アカデミーの現場に入っていった。当時、アカデミーのフィジカルコーチのポストはU-14からしか存在しなかった。しかもその席はカテゴリーで1人しかいない。限られた椅子に、外国人がいきなり割って入るのは難しい。能力や熱意の話以前に、構造的に簡単には入れない壁がある。

 特別な採用ルートや、偶然の巡り合わせでチャンスを手にする人もいるかもしれない。だが本人の言葉をたどると、そこにあったのは意志ある「狙い」と「積み上げ」。

 募集のない場所に、自分の足で入り込んでいったアクションが、最初の扉を開いた。時間があればグラウンドへ足を運んで、トレーニングを見学し続けていたという。ついにはいろんな縁や出会いがあり、ジュニア責任者だった人から、「最初は見学からだけど、チームについていていいよ、という許可をもらえた」そうだ。

 興味深いのは、比較的すぐ現場で関われるようになったという点。

「グループが複数あったりするときは手伝いつつ、最初からけっこうアクティブにかかわらせてはもらってました」

 ただ見ているだけではない。必要な場面で手を動かし、関係性を築き、信頼を積み上げていく。現場に居場所を作るとは、こういうことなのだろう。

 インターンの形でシーズンを通してU9に関わり、また大学の制度を利用したインターンでU14にも帯同する時期があったりという経験を重ねながら、やがて「お金がもらえるようになって」、そして仕事もフィジカルコーチへとシフトしていった。

 ライプツィヒを選んだ理由は、学術と現場の条件が揃っていたから。スポーツ科学を選んだ理由は、怪我の経験から「予防」に惹かれたから。大学で学びながら現場に立ち、できる範囲で役割を増やし、カテゴリーを上げていく。

 最初からイメージ通りいったわけではない。募集がないところでもアプローチの手段を見つけ出し、現場で信頼を積み上げて、目的地に近づいていく。この話が示しているのは、キャリアの作り方そのものだ。分かりやすいルートが存在しない世界で、現場に立つためには別の発想が必要になる。

 遠回りに見える道が、最短距離になることがある。荒岡のライプツィヒでの歩みは、そのことを静かに証明していた。偶然のように見える出来事の裏側にも、確かな選択と積み上げがあるのだ。

(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)



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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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