懸念するW杯後の選手生命「影響出ていた」 内田篤人に“膝”相談…学んだ「どこで無理をするか」

ホッフェンハイムの町田浩樹が欧州挑戦を決めた理由を明かした
ホッフェンハイムの町田浩樹が欧州挑戦を決めた理由を明かした

町田浩樹は東京五輪後にベルギーへ

 不屈の精神で、夢の舞台へ――。ドイツ1部ホッフェンハイムに所属する日本代表DF町田浩樹が、キャリア最大の試練に直面した。2025-26シーズンの開幕戦で左膝前十字靭帯断裂という重傷を負い、長期離脱を余儀なくされた。北中米ワールドカップ(W杯)を10か月後に控えた時期での悲劇。だが、過酷なリハビリを越えて再びピッチへ向かうその背中には、鹿島アントラーズで継承した「常勝」のメンタリティー、そしてベルギー、ドイツと渡り歩き積み上げた自負が宿っていた。連載最終回は、鹿島の先輩から受けた影響や、復帰の先に見据える世界最高峰の舞台への揺るぎない覚悟について。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全3回の3回目)

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 ホッフェンハイムの冬の澄んだ空気の中、町田浩樹の足音が力強く響いた。昨年12月、チームドクターに状態を確認してもらうため、クラブハウスを訪れた。ようやく再開できたジョギング。その1歩目は、忘れることのできない感覚だった。

「やっぱり怖いですよ、1歩目は。手術をして筋力も落ちているし、左脚の太さもまだ右に追いついていない。安心感はまだないですけど、走り出したら、次はボールに触りたくなる。葛藤ですね。走り方も忘れるというか……。少しずつ慣れて、ちゃんと走れるようになればいいかなと思っています」

 目指すは北中米W杯。その“1歩目”となったのが2022年、24歳で鹿島から欧州へ渡ったベルギー移籍だった。挑戦を決めたきっかけは21年の東京五輪。わずか5分ほどの出場に終わった本大会。その直前、親善試合で対戦したスペインに衝撃を受けた。

「ボコボコにされて。このまま日本にいたら、世界の中の奴らに置いていかれるな、ダメだなと。海外に行かないと、という思いが強くなりました。2チームからオファーをもらって、その時1位だったのが(ロイヤル)ユニオン(サン=ジロワーズ)。一番強いところに行こうと思った。(三笘)薫がいたというのもあります」

 手探りながらも勇気ある1歩を踏み出し、ベルギー1部ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズに加入。どんな1歩目もやはり怖い。だが、そんな時支えになったのは日本代表MF三笘薫だった。

「初めての海外移籍で日本人がチームメイトにいるのはめちゃくちゃ心強い。最初は英語もあまりできなくて、何をどうしていいのかわからないなかで、全部教えてくれたのですごく良かった。彼が監督やチームメイトから評価されていて、日本人がやれるというのも示してくれていた。だから早く試合に出ることもできたし、馴染むのも早かったなと思います。左サイドで一緒に出る試合が多かったのでサッカーの話をよくして。『今このタイミングでボールが欲しい、欲しくない』みたいな。試合のことが多かった」

鹿島の先輩たちに受けた影響「今でも自分の中に」

 ベルギーで存在価値を高め、2023年にはクロッキーカップ決勝で決勝弾を挙げて優勝に貢献。110年ぶりのタイトル獲得に導いた。2024-25シーズンではプレーオフ無敗で終え、90年ぶり12度目のリーグ優勝を飾った。欧州で深めた自信。頂点に立ったことで改めて気づいた。自らが育った環境、目標としてきた存在を。

「鹿島時代から『常勝』というチームにいた。タイトルを取る重みや難しさはすごく感じていたなかで、鹿島でもベルギーでも常にどうやったら取れるのか常に考えていた。そういう意味ではベルギーのタイトルは自分自身にとっても大きかったし、自信を持たせてくれた」

 町田のプレースタイル、そして逆境に立ち向かう精神性の根底には、鹿島時代にある。なかでも、名を挙げたのが中田浩二氏、小笠原満男氏、内田篤人氏。偉大なる先輩の背中を追った。

「影響を受けたのはやっぱり鹿島の先輩たち。プレースタイルやポジションでいうと、中田浩二さん。浩二さんとは現役時代は被っていないんですけど、僕がユースの頃に練習参加へ行った際、すごく細かく指導を受けました。ラインコントロールだったり、相手や味方を動かして守備をすることだったり。そこは口酸っぱく言われていたので、今でも自分の中に染み付いています」

 小笠原氏は「あまり多くは語らないけどチームを優勝に導ける人だった」。そして、同じく鹿島からドイツへと渡り、膝の重傷に苦しみながらも不屈の闘志でW杯のピッチに立った内田篤人氏についても口を開いた。

「篤人さんはドイツであれだけ長くやっていて、こっちで『ウッチー』と言えばみんな知っている。それは簡単なことじゃない。ドイツに来る時も、リハビリ中も相談しました。膝の意見交換をしたりして、今でもお世話になっています。篤人さんも膝を酷使してW杯に出て、その後の選手生命にも影響が出ていた。でも、一生に一度しかないかもしれないW杯でもある。どこで無理をするかというリスクの取り方は、すごく勉強になりました」

 現在プレーするホッフェンハイムの施設には世界最大級のエンタープライズ・ソフトウェア企業「SAP」の最先端テクノロジーが導入されている。映像解析や最新のトレーニング。それらを駆使して、町田は「怪我をする前以上の自分」を目指している。

「今は4月に戻りたいと思っています。僕がこの怪我から復帰することで、勇気をもらえる人、選手もたくさんいるはず。W杯にしっかりと出て、選ばれて、みんなに活躍している姿を見せられればいいなと思っています」

 一度は止まった時計の針を、自分の手で動かし始める。車窓から流れるドイツののどかな風景を見つめる町田の横顔に、迷いはない。4月にピッチへ戻り、初夏の光の中で世界と戦う。不屈のセンターバックが、再びその巨大な翼を広げる——。その先にある、まだ見ぬ景色をその目に焼き付けるために。

(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)



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