北中米W杯前の悲劇「膝がグラグラ」 開幕戦で大怪我…“逆算”で見えた光「映像で振り返った」

町田浩樹がインタビューに応じ、負傷時の状況を語った
不屈の精神で、夢の舞台へ――。ドイツ1部ホッフェンハイムに所属する日本代表DF町田浩樹が、キャリア最大の試練に直面した。2025-26シーズンの開幕戦で左膝前十字靭帯断裂という重傷を負い、長期離脱を余儀なくされた。北中米ワールドカップ(W杯)を10か月後に控えた時期での悲劇。だが、28歳のセンターバックに絶望の色はない。連載の第1回は、怪我を負った瞬間から始まったW杯への“逆算”について。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全3回の1回目)
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左膝に大きく残る傷跡。昨年12月、町田はホッフェンハイムを訪れた。フランクフルトから南に約120キロ、約1時間半の道のりを経て見えてくる人口約3000人の小さな村。そのなかで、一際目立つ最先端のクラブハウスが目に飛び込んでくる。昨年8月に負傷して以来、約4か月ぶり。チームドクターに状態を確認してもらうため戻ってきた。
「こんなところに飾ってくれているのか」
目を丸めて驚いたのは選手のロッカールーム前の壁に掛けてあった1枚の大きな写真。町田が開幕戦でプレーしていた姿だった。「あまりいい思い出じゃないんですけどね」。ただ、クラブからの最大限のエール。目立つ場所に掲げられた自身の写真を撫で「嬉しいですね」と笑みをこぼした。
悲劇は突然だった。
「あ、これ多分やっちゃったな」
その瞬間、頭の中を駆け巡ったのは、痛みではなかった。ベルギー1部ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズからホッフェンハイムへ完全移籍し、迎えた2025-26シーズンの開幕戦。25年8月23日、レバークーゼン戦でスタメンを勝ち取った町田は敵地のピッチに立った。北中米W杯へ向けて、乗り込んだ5大リーグの舞台。W杯1年前の移籍でもチームでポジションを掴み、アクセルを踏んだ矢先の前半40分にアクシデントは起きた。
「開幕戦でスタメン、チームでしっかり(ポジションを)奪って『ここから』という時だった。すごい悔しい気持ちの方が、怪我した瞬間は多かったです」
相手とぶつかった。最初は、単なる打撲の痛みかと思った。一度ピッチの外に出て、再び戦いの渦中へ。しかし、身体の異変はすぐに確信へと変わった。
鹿島時代に右足で経験…9年前との違い
「戻った時に、膝がもうグラグラしていて。『あ、これ多分やっちゃったな』と。僕、右足も9年ぐらい前(2017年)に前十字(靭帯を)切っているんですけど、その時は自爆で『ブチッ』といったんです。今回は接触だったので感覚は違いましたけど、チェックしてもらった時に(膝が)ゆるゆるで。ドクターに『あ、まあこれは多分靭帯いってるだろうな』と言われた瞬間にW杯まであと何か月か数えました」
引き揚げたロッカールームでメディカルチームからは非情な宣告を受けた。「今がまだ8月だから……」。頭の中にカレンダーを広げた。正式に下された診断は左膝前十字靭帯断裂。一般的に全治は8〜10か月ほどの大怪我。胸中は揺れていた。
「W杯に行けるか、行けないかという不安ももちろん。右膝で1回経験しているので、大変さとコンディション戻す難しさ、手術の辛さだったりも分かっている。『あ、またか』という気持ちも。ただその怪我からしっかり戻って、ちゃんとしたパフォーマンスができる自信もあった。じゃあしっかりリハビリすれば治るだろうという自信と、両方があった」
手術をどこで受けるか。クラブからはドイツやオーストリアでの選択肢を提示された。しかし、町田は自らの意志で日本への帰国を希望。そこには、過去の経験に基づいたプロとしての矜持があった。
「『自分の身体だから。今後のやりたいようにやってくれ』とチームも言ってくれたのはありがたかった。当初は右膝を手術してもらった鹿島時代のドクターにお願いしようと思って連絡したんですけど、今回は代表のドクターにお願いすることにしました」
決断の裏には、W杯へ間に合わせるための“究極の選択”があった。前十字靭帯の手術には、移植する腱をどこから取るかという選択肢がある。右膝の時は腿裏のハムストリングから取ったが、今回は膝の前面にある「膝蓋腱(しつがいけん)」を選んだ。
「こっち(膝蓋腱)を移植した方が、早く復帰できる可能性があると言われて。鹿島のドクターはそのやり方をしない方だったので、日本代表のドクターにお願いしました。ランニングの強度が上がってきた時に取った部分の痛みが出る可能性はあるので、うまく折り合いを見ながらやっていかなきゃいけないなと思っています」
術後のリハビリは、想像を絶する苦痛との戦いだった。膝はパンパンに腫れ、全く曲がらず、1ミリ動かすことすらためらわれた。しかし、そこで町田を支えたのは“経験”だった。
リハビリで見た映像「スライディングで行っておけば…」
「術後すぐ、曲げ伸ばしの練習をさせられるんです。それが一番痛いけど、めちゃくちゃ大事。しっかり伸ばしておかないと伸びきらなくなるし、曲げる練習をしておかないと曲がらなくなる。ウィーンと動いて強制的に曲げ伸ばしができる機械があるんですけど、もう曲がる気がしないのに曲げられる。それが一番辛かったですね」
日本でのリハビリ生活を送るなかで、町田の心境にある変化が訪れた。直後は見られなかった負傷の瞬間。目を背けたくなる現実に向き合い、自らが崩れ落ちた場面の映像をチェックした。冷静に、客観的に、なぜ自分は怪我をしたのか——。確かめたかった。
「ボールに向かうまでの2、3秒で『スライディングで行くかスタンディングで行くか』すごく迷った。結局スタンディングで行って、当たり所が悪くて靭帯をいってしまった。今では『スライディングで行っておけば怪我しなかったかな』と考えることもあります。身体の使い方もそうですけど、瞬間の判断ミスだったんじゃないかな、と映像を見ながら振り返りました」
ただ、これは自責ではない。1つの糧だ。
「でも、あれをスライディングで行って入れ替わっていたら、多分失点もしていた。どっちが正解だったかはもう『タラレバ』なので分からない。ただ、失敗というか経験から学べることはある。次、もし同じような状況になったら、また違った判断をすると思います」
2017年、鹿島時代に負った右膝の怪我から復活を遂げ、負傷前よりも高いパフォーマンスを発揮した。そこから日本代表に欠かせない存在となった。今回もそう。一瞬の落胆を吹き飛ばし、これも“糧”だと積み上げた。前へ、前へ。想像を絶する精神力で何度も立ち上がってきた。
「あと2、3か月怪我が遅かったら、完全にW杯は行けなかった。『今で良かったな』と。怪我しないに越したことはないですけど、間に合う可能性が残っていることが、本当に救いというか。不幸中の幸いだったなと思っています」
どん底で見つけた、わずかな光。町田浩樹の視線は、すでに目標とする「4月の復帰」、そしてその先にある世界の大舞台へと向けられていた。
(第2回に続く)
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)






















