引退後即プロへ指導は「絶対に成功しない」 幼稚園児からスタート…W杯英雄が10年かけて築いた土台

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:鈴木隆行(UNBRANDED WOLVES SOCCER SCHOOL代表)第8回
日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。
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FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。W杯のゴールスコアラーが指導者に転身し、最初に指導したのは幼稚園児だった。10年間の指導者修行を経て、鈴木隆行の指導力は高い評価を得ており、今は“サッカー指導漬け”の日々。その目が次に見据えるのは、プロのトップチームの監督だ。(取材・文=二宮寿朗/全8回の8回目)
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元日本代表、それもW杯でゴールを挙げたフットボーラーが指導者に転身するにあたって、プロや学生に対してではなく幼稚園児からスタートさせるのはなかなかに珍しい。
幼稚園側の要望もあっていざ引き受けてみると、「ここから始めて良かった」と思えた。興味を持ってもらうにはどうしたらいいか。どう言えば、分かりやすく伝わるか。純粋無垢な園児たちとの真剣勝負は、学びの宝庫であった。
「園児を教えるにあたって、そんなに技術的なところは必要ありません。挨拶する、人の話を聞く、バッグを並べる、靴を揃える……そういった教育面ですよね。何も言わなかったらバッグ置き場に放り投げるだけ。『きれいに並べてごらん、そうするとほら気持ちいいでしょ』と教えてあげると、年少から年中、年長になってもずっと続けていける。小さい時にちゃんと教えてあげれば、いつまでも覚えていてきちんと身につくんだなって理解できました。つまりこっち(教える側)が適当になってしまうと、その子のためにはならないということ。だから一生懸命に、真剣に接しないといけない。
プロになってもすごく大事なこと。時間を守らない、全力でやらない、生活態度も乱れているとか適当な意識の選手になってしまったら、その緩さがチームに伝染して全体が緩くなってしまうことだってある。園児を指導することによって、人間的なところ、日常のところがやっぱり大事なんだって、あらためて強く思うことができました」
自分が適当だったら、園児も適当になってしまう。鏡として捉え、緊張感を持っての指導は自分の人間力と向き合う日々でもあった。いい指導者になるには、自分の人間性を高めていかなければならないと思った。
「結局、サッカーの世界だけで生きてきたから自分には社会性がなく、一般常識というものを知らないわけです。そのことを突きつけられるとやっぱりショックでしたし、(引退して)すぐにプロを教える指導者になったとしても絶対に成功しないと思いました。メディアに出る仕事も自分の性格上、あまり積極的にはやりたくない。でもメディアの人と関わることで、自分の人間性が磨かれたり、社会性を身につけたりできると思って引き受けました。と同時に、選手たちを成長させてあげられるようにサッカーの勉強もやっていかないといけない。自分のサッカー観も持っていないといけない。引退後はいろんなことを経験して、いろんな人とも会って、学んで、人間性の部分、サッカーの部分、この両面で広げていかなきゃいけないと思って、そうやってきたつもりではあります」
次のステップはプロの監督「根幹をつくり上げることができた」
東京・清瀬にある町クラブで13歳以下の子どもたちを教えるなど指導者として精力的に活動を広げていき、2018年には国内トップライセンスのS級(現在のJFA Proライセンス)を取得している。2021年には幼稚園、小学生年代を対象にした「UNBRANDED WOLVES SOCCER SCHOOL」(アンブランデッドウルフスサッカースクール)の開校に至った。
足もとのテクニック、オフ・ザ・ボールといったサッカーの基礎と、サッカーに打ち込む姿勢のベースをセットに直接指導にこだわり、愛情と情熱を持って一人ひとりに接する。生徒には男女ともにプロを目指している子が多く、真剣な夢に対して鈴木も真剣に応えようとする。伝わらなかったら、伝わるまでコンコンと言い続ける。生徒が投げやりになったことで叱るにしても、絶対に愛情は抜け落ちない。
引退してから指導者になって10年。彼はこの10年間を指導者修行と捉えてきた。園児から始めたことで、小学生を教えやすくもなった。どういう練習がいいか、どういう言葉がいいか、自分なりの答えも分かった。いや、10年かかってようやく手にした感覚なのかもしれない。それほど丁寧に、念入りに、時間をかけながら積み上げてきたものだ。
「園児から始めて10年間やってきて、指導者としての能力は上がったなと思います。たとえば(グループで行なう)練習方法一つ取っても、選手のコンディションだったり、人数、フリーマンの人数、サイズだったり、『これじゃ効果がないな』って瞬時に気づくし、瞬時に(効果が出るように)変えていけます。根本的な間違いを放置したままやらせてしまったら、時間の無駄になるだけ。違う方法にチェンジして、早く正解を見つけられるようになってきたというのは年々感じています」
WEリーグの三菱重工浦和レッズレディースに所属するFW藤﨑智子は教え子の一人。鈴木の指導の評判に対する評価が広がっているからこそ、自身が立ち上げたアンブランテッドウルフスの活動のみならず、時間が空けば古巣の鹿島アントラーズのアカデミーの臨時コーチなど、あちこちから声がかかっている。1週間、ほぼサッカー指導漬けという日々が今も続く。
今後の目標はズバリ、プロのトップチームの監督である。その準備を整えてきたなかで2026年に節目の50歳を迎える。
鈴木の言葉に力がこもる。
「今、単発ではあっても社会人のチームを教えたり、中高生も教えたりしてきて、もう次のステップに進みたいとは考えています。50歳になるんで、体も頭もしっかりと動く今が自分にとってはいい時期なのかな、と。これまでやってきたことはプロの監督、コーチになった時にすごく財産になるはずだし、活かしていけるという確信が自分のなかにはあります。見せかけの指導者じゃなく、本物の指導者になりたくて、この10年かけて力をつけてきました。そうじゃないと、何より選手たちが困りますから。自分としてもプロの監督として勝負していくための根幹をつくり上げることができていると思っています」
今日もグラウンドで、子どもたちと真剣勝負を繰り広げている鈴木隆行がいる。子どもたち、そしてサッカーに対して、溢れるばかりの愛情と情熱を持って。すべては本物の指導者になるために――。(文中敬称略)
■鈴木隆行 / Takayuki Suzuki
1976年6月5日生まれ、茨城県出身。日立工業高校から1995年に鹿島アントラーズに加入し、CFZ(ブラジル)、ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)、川崎フロンターレへの期限付き移籍を経て、2000年途中に鹿島へと復帰。トニーニョ・セレーゾ監督の下で出場機会をつかみ、リーグ、天皇杯、ヤマザキナビスコカップ(現・YBCルヴァンカップ)の三冠に貢献した。その後はベルギー、セルビア、アメリカでもプレーを経験している。日本代表としても活躍し、2002年の日韓W杯の初戦となったベルギー戦では同点弾を記録するなど、通算55試合11得点を記録。2015年を最後に現役
(二宮寿朗 / Toshio Ninomiya)
二宮寿朗
にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。





















