大学1年でJクラブの練習参加 振り払った「ウジウジしていた自分」…叶えたい仲間との約束

愛知東邦大学1年の宮里晄太朗が誓う仲間との再会
2025年1月13日、満員の国立競技場で行われた選手権決勝・前橋育英vs流通経済大柏の一戦は高校サッカー史に残るような激闘の末に、1-1からのPK戦で前橋育英が優勝を果たした。
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この戦いに流通経済大柏の左サイドバックとしてスタメン出場をしていたDF宮里晄太朗は今年、東海大学サッカーリーグ2部に所属している愛知東邦大で不動の左サイドバックとしてプレーしている。
チームは今年、東海2部を制して1年での1部昇格を手にした。アシストランキング2位の7アシストを記録した宮里は、すでにJ3クラブの練習に参加をするなど、東海地区で確固たる地位を築いたが、そこに至るまでは大きな葛藤があった。
宮里が愛知東邦大に進学を決めたのは高校2年生の冬と非常に早かった。当時、宮里はトップになかなか絡めずにBチームでボランチとしてプレーをしていた。その中で貴重な左利きのゲームを作れる選手として熱心に誘ってくれた愛知東邦大に「1部に昇格するチームで、流経柏の先輩もいるし、成長できると思った」と早々に進路を決めた。
最高学年を迎えた昨年、ボランチから左足のキックを買われて左サイドバックにコンバートされると、そこからメキメキと頭角を現していく。9月までBチームのままだったが、プリンスリーグ関東2部でのプレーを重ねていくうちにスプリント力と守備力に磨きがかかっていくと、選手権予選前の10月、プレミアリーグEAST第18節の市立船橋戦でトップデビューをスタメンで飾った。ここから左サイドバックのレギュラーポジションをガッチリと掴み、選手権予選、プレミアの試合を通じてさらに成長をしていった。
「レギュラーになって試合をこなすごとに、『もっとこの仲間たちと一緒にサッカーをしたい』と強く思うようになったんです」
選手権でも準々決勝の上田西戦以外はすべてスタメン出場。快進撃の立役者の1人となった。高校での充実感が増せば増すほど、進路に対する不安が増えていった。
「柚木(創)や奈須(琉世)など仲の良い選手の多くがそのまま流通経済大に進むので、正直、心の中に『僕も流大に行きたい、みんなで大学日本一を取りたい』という気持ちがどんどん大きくなって行ってしまったんです。2年生の時までは『このまま流大に進んでも埋もれてしまう』と思って進路を決めたのですが、10月からの半年で自分の置かれている現状が一気に変わって、どんどん自信がついて行って、考えが少し変わってしまったんです」
ちょうど愛知東邦大が2部降格した現実も追い討ちをかけ、「落ち込むところまで落ち込んだ」と、一時期は大学に行かずにサッカーを辞めることまで考えてしまった。だが、苦しむ宮里を救ったのは仲間のエールだった。
「(流経柏の)榎本(雅大)監督が『ここでやると決めたら最後まで絶対にやりきれ、自分の選んだ道を正解にしろ』と言ってくれましたし、奈須、柚木も『お互いプロになってまた一緒にサッカーをしよう』と言ってくれた。正直、愛知に行くまでずっと泣いていたし、愛知に来てからも練習に行きたいくない自分がいましたが、みんなが応援してくれるので頑張ろうと奮い立つことができました」
大学で出会った仲間、チームを率いる氏原良二監督の存在も大きかった。
「帝京大可児高から来た(CB杉浦)龍星と仲良くなって、『一緒に東邦大からプロになろう』と言ってくれたんです。それが本当に嬉しかったし、氏原監督もリーグ開幕前に故郷の沖縄に帰っているときにFC琉球の練習参加を勧めて、実際に参加させてもらいました。リーグが始まってからも『プロを目指そう』と熱心に指導してくださっています。こんなに周りの人たちに支えられているのに、ウジウジしている自分が情けなくなったし、ここで一生懸命取り組もうと誓いました」
葛藤を振り払い、覚悟を決めたことでさらに成長曲線を描いて行った。前述した通り、不動の存在として1年での1部復帰に貢献。先月には別のJ3クラブの練習に参加をした。
「日々の練習でトラップや運ぶ部分などをより考えるようになりましたし、基礎的な部分ももう一度見直しながら取り組みました。氏原監督からも『もっと左足を磨け』と言われているので、高校時代より高い意識を持って自分と向き合えています。本当に愛知東邦大に来て良かったと思っています」
愛知に来て気づいたのは、「僕は本当に人に恵まれている」ということだった。今も変わらず連絡をくれる柚木、奈須らの高校のチームメイト、恩師。そして今を共にする氏原監督とチームメイトがいる。
「この間、亀田(歩夢、カターレ富山)から連絡があって、僕がプロの練習参加をするという話を聞いて、『またお前と一緒にサッカーがしたい』と言ってくれた。榎本監督からも『選手としてだけでなく、人としても流経柏サッカー部を超えていけ』とメッセージをもらった。恩返しをしないといけない人たちが多くて、本当に幸せだなと」
その顔は充実感に満ちていた。サッカー選手としての成長だけではなく、『選んだ道を自分の力で正解にする』という人生の教訓も掴み取った彼は、これからも感謝の気持ちをプレーに昇華させて、仲間との約束を叶えに行く―。
(安藤隆人 / Takahito Ando)
安藤隆人
あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。




















