初の外食で衝撃「これが日本の料理!?」 後輩への道を切り開いた先駆者「厳しく伝えた」

高校入学と同時に来日したサンデー
ナイジェリア国内でも家族と離れて生活をしていたFWオリオラ・サンデーだが、日本に来てからはさらに大きな環境の違いに戸惑いの連続となる。さらにナイジェリアに住んでいた時とは異なり、母とも簡単には連絡が取れなくなった。(取材・文=河合拓/全6回の第3回)
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なかなか日本の環境に溶け込めないサンデーに、海外暮らしも長く英語も堪能だった一人の教師が理解を示してくれた。日本の食事に戸惑っていたサンデーに少しでも食べられるように「何が食べられる?」と聞いてくれ、鶏肉料理をふるまってくれたという。「あの先生がいて本当に助かった。今もめっちゃ好き」というサンデーは、その好意に感謝しながら、1週間ほどチキンばかりを食べる生活をしていたという。しかし、ナイジェリア人先輩のMFオタボー・ケネス(栃木SC)の助言もあり『日本の食べ物を食べられない人が、どうやって日本で生活していけるのか』と考え直し、日本の料理も食べるようになっていった。
高校の寮に入ったサンデーは、日本食が苦手なのだと思っていたという。しかし、『かつ家』に行った時、それが間違いだったと気づかされる。「最初、寮に入ったんですけど、そこでの食事はあまり口に合いませんでした。サッカー部とか野球部とか、いっぱいいますし、とにかく多くの学生に食べさせるために、量をいっぱい作っていたんです。だから、あまりおいしくなかった。でも一回、外食する機会があってかつ家でとんかつを食べたんです。そうしたらもう全然違う。『バカうまい!』って『なんで今まで、こういう食べ物じゃなかったの』『これが日本の料理ですか!?』ってショックでしたね」と言い、今もトンカツが大好物なのだと笑った。
日本食への苦手意識は割と早いうちに克服できたサンデーだったが、言葉の壁には苦労した。それでも日本で成功したいという強い思いから、それも乗り越えていく。
「自分の気持ちはもちろんですが、サッカーをやっている時も指示が出せない。それでもモチベーションを高く保って、『日本で生活するのだから、日本語を覚えなきゃいけない』『しゃべれなければ、練習の意図もわからないしサッカーもうまくなれない』と思って勉強しました」
熱心に取り組んだ日本語習得
6時間目まで授業があるとすれば、4時間目までは日本人の生徒と同じように授業を受け、残りの2時間は図書館で日本語の勉強をするような形だったという。寮に戻ってからも積極的にルームメイトに日本語で話しかけて、間違っていた時は「それはこう言うといいよ」と直してもらっていたという。
「もともとよく喋る人間だし、友達とか先輩にも『どうやったらもっとうまくいく?』と聞きたかったので、すごく日本語は勉強しました。ちょっと喋れるようになったら、友達もできてめっちゃ仲良くなって。自分の生活も自由になったというか、簡単になりました。おなかすいている時も、先輩のところにいって『ちょっとお腹すきました』っていうと『何か食べたいの?』『いいよ、いいよ』って食べ物をくれたりして、生活がもっと楽しくなっていきましたね」
この経験を彼は後輩にも伝えている。サンデーが卒業した後、福知山成美高校からは、さらに2人のナイジェリア人留学生がプロサッカー選手になった。GKウボング・リチャード・マンデーはヴィッセル神戸に、FWローレンス・デイビッドが徳島ヴォルティスに進み、Jリーガーとなっている。サンデーは彼らにも、日本でプレーするうえで日本語を覚えることや日本食をとることの重要性を教えていた。
「初めて会った時、彼らは日本の食事を食べていないとか、日本語も話していないと言っていました。そこは厳しく『日本でプレーしたいなら、日本食を食べないといけないし、言葉も喋れないといけないよ』と伝えました。彼らに連絡をするといつも『ありがとう』と言ってくれて、自分も彼らの成長は嬉しいです。彼らの努力があってこそですし、彼らももっと上にいけると思うので、自分も負けないようにもっと頑張ろうと思います」
福知山成美高校では最初のナイジェリア人留学生になったサンデーが、しっかりとした高校生活を送れていなければ、彼らの道も閉ざされていただろう。後輩への道を切り開いたサンデーは、さらにその道を広くするべく、プロサッカー選手としてさらなる高みを目指す。
(河合 拓 / Taku Kawai)













