突如訪れた”父の死”「戻ってこなかった」 壮絶な過去…運命変えた同胞からの誘い「まさか一緒に日本で」

RB大宮でプレーするオリオラ・サンデー【写真:アフロ】
RB大宮でプレーするオリオラ・サンデー【写真:アフロ】

ナイジェリアで育った大宮FWオリオラ・サンデー

 22歳のナイジェリア人FWオリオラ・サンデーは、実力者も多くいるJ2リーグのRB大宮アルディージャで1トップとして存在感を放っている。京都府の福知山成美高校を卒業して、徳島ヴォルティスに加入しJリーガーとなった異色のキャリアをもつストライカーは、どのような半生を歩んできたのか。(取材・文=河合拓/全6回の第1回)

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 サンデーの両親は南西部に多くいるヨルバ人で、母はもともとナイジェリアのオンド州で生活をしていたが、サンデーが生まれる前にエド州の州都であるベニン・シティへ移住した。今も母の姉妹が暮らすオンド州を家族で2、3度訪ねたこともあるという。

 サンデーによれば、彼が生まれ育ったベニン・シティはナイジェリアで首都のアブジャ、ラゴスに続く3つ目に大きな都市であり、人気も高く、多くの人が暮らしているという。サッカーも盛んであり、ラゴス出身のトルコ1部ガラタサライのFWヴィクター・オシムヘンや、ドイツ1部ブレーメンFWヴィクター・ボニフェイスといったナイジェリア代表選手も、この地で過ごした時期があるそうだ。

 ゴールを決めるとバク宙のセレブレーションをするサンデーだが、あのバク宙も子供のころの日常的な遊びだった。「サッカーもそうですが、バク宙も近所の友達と遊びで、家の近くにある広場でやっていました。学校に行って、誰かがすごいことをやると、それをみんなで見る。家に帰ってからベッドの上とかで、みんな練習するんです。それでまた広場に集まって見せ合う。自分だけできないと恥ずかしかったり、悲しかったりするので、そういう遊びのなかで何回も練習して自然とみんなできるようになっていました」

 2人の姉と兄に続くサンデー家の4人目の子供だったサンデーには、一つ年下の弟もおり5人兄弟だった。アーセナルの熱心なファンだったサンデーの父は、息子たちとサッカーをしていたという。アーセナルの試合がある日には、欧州サッカーの有料配信が見られるスポーツバーへ行って試合を観戦することもあり、サンデーも自然とアーセナルが好きになった。

突然、父とボールを蹴る日々がなくなった

 そんな一家の日常が大きく変わる出来事が、サンデーが7歳の時に訪れる。日本でいえば小学校1年生の時、まだ幼かったサンデーは、その当日の両親のやり取りを覚えているという。

「その日、父はもしかしたら病気だったのかもしれません。母が父に『今日は仕事に行かなくてもいいんじゃない?』と言い、父が『お金が入らなかったらどうやって食べていくんだ』と答えていたことを覚えています。結局、父はいつも通りに仕事に行ったのですが、そのまま戻ってきませんでした」

 夕方、いつものように兄弟とサッカーをしていたが、車の修理の仕事をしていた父は帰ってこない。その代わり、夜になると親戚が集まってきた。『今日はいろんな人が急に来てくれて不思議だな。何かあるのかな?』くらいに思っていたという。しかし、そうした人たちがそろって泣いている光景に、幼いサンデーも違和感を覚えていた。

「オレはまだ小さ過ぎたから、みんながどんな気持ちで泣いていたのか、よくわからなった。それでも『何これ?』っていう風には感じていました。ママはずっと泣いていたけど、その理由が当時のオレにはわからなくて『なんで泣いているのかな』と思っていた。お父さんが亡くなったけど、それがどういうことかも分からない。もう少し大きくなってから『お父さんには、もう会えないんだな』と分かるようになったけれど、あの時は分からなかった」

 突然、父とボールを蹴る日々、一緒にアーセナルを応援する日々がなくなった。ナイジェリアでは多くの子供を抱える一家が片親になってしまった場合、子供を養子に出したり、施設に入れたりすることが一般的だという。しかし、サンデーの母は、女手一つで5人の子供たちを育て上げた。

 家計は決して裕福ではなかった。それでもサンデーは、「お母さんは超大変だったと思う。一人だけで一生懸命やっているのは、すごく俺らにも伝わってきたし、5人を育ててくれたのはすごくうれしかったし、感謝しています」と、兄弟を一つ屋根の下で育て続けてくれた母へ、深い感謝の気持ちを抱き続けている。

 サンデーには、子供のころに憧れたサッカー選手がいない。というのも、父が亡くなったことでサッカーを見にスポーツバーへ行く金銭的余裕もなくなり、サッカーを見る機会がなくなったからだ。「子供の頃の憧れはいなくて、大人になってからアレクサンドル・ラカゼットとか、オシムヘンが好きな選手になりました。大人になってからババンギタとか、ヌワンコ・カヌといったナイジェリア人選手の存在を知りました」。

 ストリートサッカーを続けていたサンデーは、10歳になった時にサッカーチームに加入していた友人に誘われる形でそのチームに加入する。その友達は今季J3の栃木SCでプレーするMFオタボー・ケネスだった。「まさか一緒に日本でプレーすることになるとは思わなかった。本当にずっとずっと一緒にいた」と振り返る。

 プロのサッカーを見たことがほとんどなかったサンデー少年にとって、このチームのトップチームでプレーする大人たち、彼らが国内のカップ戦で対戦した相手の選手たちがお手本となっていった。

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