“鳴り物入り”もぶつかった壁「甘い世界ではなかった」 Jからオファーも…大学で誓う「即戦力プロ」

関西学院大学の山本吟侍【写真:安藤隆人】
関西学院大学の山本吟侍【写真:安藤隆人】

関西学院大2年FW山本吟侍

 9月3日に開幕し、東洋大学の優勝で幕を閉じた、大学サッカーの夏の全国大会である第49回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント。

【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!

 全国各地域の激戦を勝ち抜いてきた32大学が、1回戦から3回戦までシードなしの中1日の一発勝負という過酷なスケジュールの中で、東北の地を熱くする激しい戦いを演じた。ここでは王者にたどり着けなかった破れし者たちのコラムを展開していく。

 ラストとなる第14回は2年ぶりの決勝進出を果たすも、決勝では東洋大に0-1で敗れて9大会ぶり2度目の優勝を逃した関西学院大の2年生ストライカー・山本吟侍について。高川学園高時代に1年生ながら国立競技場の舞台を経験した男は、チームを決勝進出に導く劇的なゴールを突き刺した。

 準決勝の関西大学との『関関戦』。1-1の同点で迎えた後半アディショナルタイム3分、関西学院大学が自陣でボールを奪うと、一気にカウンターを仕掛ける。自陣右サイドでボールを受けたMF棟近禎規が顔を上げた瞬間、センターサークル左にいた山本は、「俺に出せ」と言わんばかりに棟近の方を見つめながら猛然とダッシュを開始した。

「禎規とは練習からいつも目が合うので、あの瞬間も絶対に来るなと思った」

 アイコンタクトができた棟近は迷わず山本の前にある広大なスペースにロングフィードを送り込む。完全フリーで抜け出した山本はゴール方向にトラップをしてさらに加速し、ペナルティーエリア内に侵入。

「GKの位置もイメージできていましたが、ディフェンスが思った以上に戻ってきていたので、左足で打つか迷ったのですが、コースがないと判断して切り返すことにしました。その前に打つそぶりを見せれば、相手は絶対に滑ってくると思った。その通りの展開になって、あとはゴールカバーのDFも見えましたが、自分の得意な形だったので振り切るだけでした」

 右足を振り抜いたシュートはカバーにきたDFに当たりながらもゴールに吸い込まれていった。ゴールが決まったことを確認し、コーナーフラッグまで喜びを爆発させて走っていく際にタイムアップのホイッスルが鳴り響いた。

 まさに劇的な決勝弾だった。この試合、山本が投入されたのは1-0でリードしていた後半34分のことだった。前線からの守備とチャンスがきたら追加点を奪う役割として投入されるが、同41分に同点弾を浴びて振り出しに戻っていた。

「自分が入って、前線で収めきれない部分があった中で失点してしまったのですが、もうそこは割り切るしかないと思った。むしろもうなんとかするしかないし、引きずっても何もいいことがないと思ったので、それだったらこの状況を思い切り楽しもうと。『俺が全部持って行ってやる』と思っていました」

 この前向きなメンタリティーが決勝弾を生み出した。山本のことを高校時代から取材しているが、時には軽く映ってしまいがちだが、引き摺らない前向きな性格でもあり、実にストライカー向きのように感じる。

「あの局面で自分に出番が来たのが嬉しかったし、僕の中でスタメンだろうが途中出場だろうが、プレー時間が短かろうが、気持ちを点を取ることに切り替えて臨むことを大事にしています」

1年目ではトップで出番がつかめず「1年から出るつもりだった」

 大学に入学してからは決して順調ではなかった。だからこそ、このように考えられるようになった。高川学園中、高川学園高ではエースストライカーとして君臨し、前述した通り1年生で選手権を経験し、2年生でU-16日本代表候補、U-17日本高校選抜、3年生でU-17日本代表候補にもなった。

 さらにJ2クラブの練習に参加し、オファーももらっていたが、「即戦力としてプロの世界に行きたいと思っていて、今の自分が高卒でプロに飛び込むよりも、大学でしっかりと自分を磨こうと思いました」と、関東、関西、九州の強豪大学の数あるオファーの中から関西学院大を選んだ。

 だが、1年目はトップで思うように出番が掴めず、Iリーグ(インディペンデンスリーグ、セカンドチームの各地域の大学リーグ戦)が主戦場だった。「僕としては1年から出るつもりでしたが、そんなに甘い世界ではなかった」と、大学サッカーの壁にぶち当たったが、そこでなぜ自分が高卒プロを蹴ってここに来たのかということに立ち返ることができた。

「大学では高校と違って寮生活ではなくて一人暮らしなので、何の制限もないからこそ、逆に自分でなんとかしないといけない環境。楽しようと思えばできてしまうし、別にここに遊びに来たわけではなく、プロになるために来た。もちろんAチームに上がっても試合に使ってもらえなくて、イライラした時はありましたが、それも自分の力不足と受け止めながら、『いつか見返してやる』と思ってやっていました」

 この思考、自制心、自立心こそが、彼が自分に足りないものとして、大学サッカーに求めてきたものだった。高校時代、自分のメンタル状況でプレーに波が出てしまう兆候があった。その状態でプロとしてお金をもらってサッカーをするようになったら、それでは生き残っていけない。出られない時の過ごし方、考え方こそ、いざチャンスをもらった時に良くも悪くもプレーに出ると。

 それを1年目で悟った山本は、Bチームで躍動を見せ、Iリーグで関西を制し、全国大会でも優勝して日本一を手にした。

「やっぱりトップで日本一を味わいたいと改めて思いました」

 反骨心を力に変え、今年は関西大学サッカーリーグ1部でトップのスタメンを張る機会も増え、2ゴールをマークした。だが、総理大臣杯では1回戦の産業能率大戦でスタメン出場した以降は、準決勝までずっとベンチスタートだった。

「日本一になりたいという気持ちが強いですし、スタメンだろうが、ベンチスタートだろうが、チャンスはもらえているので、そこは自分のベクトルを向けてやれています。チャンスを逃さない気持ち、決められなくても、『次は絶対に決める』という気持ちを持ち続けられているし、どこかで自分が決めれば、自分の価値が証明されることを信じています」

 準決勝でその価値を証明すると、東洋大との決勝戦ではスタメンに復帰。ゴールを奪えず、チームも0-1で敗戦をしてしまったが、心の中には「必ず日本一になる」という強い思いがより膨らみ、良い意味で『次』を狙っている。

「まだ完全なレギュラーを掴めていないので、正直今も苦しい部分はありますが、苦しい時だからこそ、もっと大人になるチャンス。自分を信じてやっていきたいと思います」

page1 page2

安藤隆人

あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング