降格→移籍で葛藤…受け入れるしか 耳に届くさまざまな声、日本代表を救った“言葉”「何を言われても」

滝川結女がAC長野パルセイロ・レディースへの加入を振り返った【写真:増田美咲】
滝川結女がAC長野パルセイロ・レディースへの加入を振り返った【写真:増田美咲】

常盤木学園からAC長野パルセイロ・レディースへ加入

 女子サッカーの未来を考えるーー。WEリーグとFOOTBALL ZONEの共同企画「WE×ZONE 〜わたしたちがサッカーを続ける理由〜」がスタート。5年目を迎えたWEリーグで日々奮闘する選手たちの人生に迫る。第1回はアルビレックス新潟レディースのなでしこジャパン(日本女子代表)FW滝川結女。“新発田のアイドル”として知られる26歳の点取り屋が歩んだ道筋とは。連載4回はサッカー選手の第1歩と初めての移籍について。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全6回の4回目)

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 夢への一歩を踏み出した。サッカー選手を志す者にとって、大きな大きな決断だろう。名門・常盤木学園高校3年生の時、進路は当時のトップリーグ・なでしこリーグ1部を目指した。その中で滝川には確固たる“軸”があった。

「重要視したのは強いチームに行くよりかは試合経験を積めるところ。自分を評価してくれて、試合にも絡めるんじゃないかと思ったところ。そこでほぼ一択で決めました」

 決めた道はAC長野パルセイロ・レディース。女性指導者のパイオニア・本田美登里監督のもと、練習参加した。わずか2回ほど。「本田監督が自分を求めてくれた」と感じ、高卒でAC長野へ加入。開幕戦から出番を掴み、1年目は17試合3得点と自らの決断に自信を得た。

「レベルの高いチームの中でやることも大切ですけど、自分の中では試合に出ることが一番だと思った。試合でしか得られない経験もありますし、AC長野へ行って良かったと思いますね。他のチームに行っていれば潰れちゃっていたかもしれないですし、周りのレベルが高くて。選択肢は間違っていなかったと思います」

 1年目から充実した毎日だった。18歳で長野県内の信用金庫に入社。高卒での入社は「50年ぶりぐらいだったようで、ざわついていました(笑)。私は総務部だったので受付とかはなく、バックオフィスでの仕事だったんですけど、最初はざわついていました」という。仕事からサッカーへ、1日のスケジュールは朝早くからスタートする。朝8時半に出社し、データ入力などの業務をこなす。午後2時ぐらいには練習へ行く準備。何より周囲の環境に恵まれていた。

悩んだ末に新潟への移籍を決断した【写真:増田美咲】
悩んだ末に新潟への移籍を決断した【写真:増田美咲】

2年目でAC長野が2部へ降格…滝川が下した決断

「初めての仕事だったから最初は大変でしたけど周りの方々が優しく教えてくれた。普通は夕方まで働かないといけないのに、帰っていいよとサッカーに集中させてくれたり。怪我をしたら練習行く前にケアする時間をくださったり。本当にありがたかったです」

 2年目には転機を迎えた。滝川自身、キャリアを見つめ直す時が来た。主力としてシーズンを戦い抜いたものの、AC長野がなでしこリーグ2部へ降格。責任と移籍のはざまで何日も何日も悩み抜いた。

「2部に降格してしまった中で移籍したら……なんて色々な思いもありました。でも自分の中では目標もあった。やっぱり高いレベルの中でサッカーがしたいというのが一番で覚悟を決めました」

 もちろん、長野への思いを捨てたわけではなかった。1部に昇格させてから移籍する方法も模索した。ただ将来はなでしこジャパン(日本女子代表)として活躍したいという夢がある。自分の可能性を広げるために移籍を決めた。

 全員が納得する移籍は存在しないだろう。誰かにとっては悲しく、時には怒りも混ざる。実際、滝川の耳にも周囲からのさまざまな多様な心無い言葉がは届いた。その言葉を「受け入れるしかなかった」。だからこそ、葛藤した。

 そんな滝川を後押しした恩人がいた。「当時のAC長野のGM(ゼネラルマネージャー)が新潟Lの話を持ってきてくれた。色々相談に乗ってくれて『行きたいところに行けるように話をする。自分で決めなさい。何を言われても自分の選択肢を持ちなさい』と言われました」。自ら架け橋になってくれ、新潟L行きが決定。滝川のサッカー選手人生、第2章が幕をあけることになった。(第5回へつづく)

(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)



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