スペイン→帰国も…「実際のレベルはどうなの?」 “逆輸入GK”に舞い込んだ運命のオファー

川崎フロンターレの山口瑠伊【写真:徳原隆元】
川崎フロンターレの山口瑠伊【写真:徳原隆元】

FC東京U-18からフランスのロリアンへ

 川崎フロンターレGK山口瑠伊が、FC町田ゼルビアから期限付きで加入することが発表されたのは2024年8月14日のことだった。あれからわずか1年で、山口の立場は大きく変わった。契約を求めてJ2水戸に練習参加した立場から、町田を経てアジア王者を狙うJ1川崎の正GKへ。そして経験したサウジアラビアでのACLEファイナルズの3試合。大きな経験を積み、川崎の守護神としての立場を固めつつある27歳に話を聞いた。(取材・文=江藤高志/全4回の1回目)

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 フランス人の父と、日本人の母を持つ山口が、FC東京のU-18からフランスのロリアンの下部組織に移籍したのが2014年の時。チームメイトが評価されていたことがその理由だとのWikipediaでの記述を伝えると「そんなことが書いてあるんですか?」と苦笑い。そうではなくて、生活と学校とサッカーのバランスが取れなかったからだと当時を振り返る。

「FC東京時代は環境がすごく難しかったんです。フランス人学校は板橋にあるんですが、終了が午後5時ぐらい、その後、小平の練習場に移動するんですが、練習に1時間くらい遅れることもありました。また、家は新宿区にあったので、朝6時とかに家に出ないといけないし、帰るのは午後11時過ぎ。これではサッカーと学校の両立ができないので環境を変えないと難しいなと思ってのことでした」

 ちなみに移籍先のロリアンでは、トップチームのクラブハウスに隣接して寮があり、そこに先生が来てくれて勉強を受けられた。

「朝授業を受けて、10時ぐらいから練習してご飯食べて、また授業を2〜3時間ぐらい受けて。全部同じところでできました」

 ロリアンは、ブルターニュ地方にあるクラブ。「生まれはパリですけど、家族はブルターニュ地方に住んでいて、おじいちゃんとおばあちゃんの家からは車で1時間ぐらいのところにありました」。ロリアンではトップ昇格は果たせなかったが、2017年7月に当時スペイン4部のエストレマドゥーラUDに入団し、プロになった。2020年8月には3部のレクレアティーボ・ウェルバへ完全移籍。だが、大ベテランの壁に定位置はつかめなかった。

 そんな山口が日本への復帰を考えたのは、2021年の夏だった。

「当時所属していたレクレアティーボ・ウェルバが降格してしまって。その年はスペインのリーグがいろいろ変わるシーズンで、結局2段階落ちの5部からスタートすることになって」

 ウェルバは契約延長を望んでいたが、山口は日本に戻る決断をした。2014年にフランスへ渡って以来、プロとして日本でプレーするのは初めてのことだった。

「5月中にシーズンが終わり、色々と考えて6月中に決断して日本に帰ることにしました。アンダー日本代表にはU17からU22まで入っていたので名前は少し知られていましたが、結構長い間海外でプレーしていたので『実際のレベルはどうなの?』という事で、最初は練習参加から始めようと。日本中のJのチーム、全部回るくらいの意気込みでした」

水戸に練習参加

 複数のJクラブから練習参加受け入れの反応が帰ってきた中、山口はまず水戸に練習参加することを決めた。

「8月末から水戸に練習参加しました。練習期間は10日から2週間ほどでした」

 練習参加でのプレーが認められ、来季からの正式契約の話が出る中、最終日に事件が起きる。

「最後の練習の日にケガしちゃって、本当にその日が水戸での練習参加の最終日だったんです」

 ケガは肩の亜脱臼。「だからいろんなチームに行けなくなってしまって」という状況だったが、水戸は練習でのプレーを評価して契約の意思を変えず。「ぜひ来年から契約したい」と伝えられた。

 水戸から正式に2022年からの加入のリリースが出たのが2021年12月28日のこと。ただしそこから試合に出るまでにもさらに4か月ほどかかっており、簡単な道のりではなかった。というのも、ウェルバでの公式戦後、水戸に練習参加した期間を除けば半年ほど無所属で、自主練習を強いられたため。また水戸で負ったケガもあり「コンディションも結構酷くて。もちろん自分で体を動かしてたんですけど、ケガを治しながらって感じでした」と厳しい状態で2022年シーズンに臨んでいたことを振り返る。

「ポジション争いの出足はちょっと遅れちゃって難しかったです。僕が実際にデビューしたのが4月の群馬戦なんですよ(2021年4月3日・第8節)。それまではベンチに入ったりベンチに入れなかったりで」

 ただ、その苦しさを「運命ですね」と話す山口は、水戸での経験は良かったと言う。

 水戸での初年度となった2022年シーズンは、ケガからの回復後にポジションを奪取。続く2023年は開幕からポジションを掴む。ケガのため、戦線離脱を余儀なくされた期間もあったが、2シーズンを過ごした水戸では正GKとしてプレー。練習生として日本に復帰した山口は、自らのプレーに手応えを感じていた。

町田を経て、川崎に加入

 水戸でのプレーが評価された山口は、2024年シーズンにFC町田ゼルビアに完全移籍。新たな挑戦をスタートさせる。その町田では、開幕2日前のスタジアムでの練習の際に足首を負傷し、戦線離脱を余儀なくされた。その間、アンダー代表で一緒だったこともある日本代表GK谷晃生が盤石の地位を築き、チームは快進撃を続けた。その結果、ケガから復帰した山口にチャンスは巡ってこなかった。そんな中、届いたのが川崎からのオファーだった。

 川崎は2024年シーズンをGK4人体制で始めていたが、8月1日付けで上福元直人が湘南ベルマーレへと完全移籍しておりGKの補強が急務だった。山口にとっては挑戦しがいのあるオファーだった。

「決断するのは簡単でした。その話が来た瞬間、僕は町田のクラブハウスにいたんですが、これは受けようと。練習環境もそうですし、コーチングスタッフの良い評判も聞いていました。選手のレベルも高かったですしね」

 チームメートになった元韓国代表GKのチョン・ソンリョンは、山口にとってライバルであり、尊敬の対象になったと言う。

「別のゴールキーピングというか、プレースタイルは今まで一緒にプレーした仲間とは全然違うスタイルですし、ベテランでこれだけの活躍ができるというのは、やっぱり何かがあるということなので。それを学びたいなと。ヒントは絶対あるなって思いました。もちろん、ポジションを奪う気持ちというのはありました。サッカー選手として、それがなかったら選手としては続けられないと思うので。ただ、ソンさんの存在感というのは大きかったですね」

 川崎に加入して半年経った今季、山口に大きな変化が訪れた。(第2回に続く)

(江藤高志 / Takashi Eto)



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江藤高志

えとう・たかし/大分県出身。サッカーライター特異地の中津市に生まれ育つ。1999年のコパ・アメリカ、パラグアイ大会観戦を機にサッカーライターに転身。当時、大分トリニータを率いていた石崎信弘氏の新天地である川崎フロンターレの取材を2001年のシーズン途中から開始した。その後、04年にJ’s GOALの川崎担当記者に就任。15年からはフロンターレ専門Webマガジンの『川崎フットボールアディクト』を開設し、編集長として運営を続けている。

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