米女子サッカーに受けた衝撃 30代でスピード向上…元なでしこエース「ここまで変わるなんて」

30歳を過ぎてのアメリカ挑戦「どんどん足が速くなって」
元なでしこジャパン(日本女子代表)のFW永里優季さんは3月に現役を引退し、今月15日に地元・神奈川県厚木市で引退試合を開催する。かつて、なでしこジャパンのエースとして世界のトップで戦い続けたストライカーは、30代を迎えるタイミングでサッカー大国・アメリカの地に降り立った。キャリアの終盤を過ごした日々は、永里さんにとってどんな経験になったのか。「FOOTBALL ZONE」の独占インタビュー最終回、女子サッカー大国で得た学びと新たなステージへ踏み出した現在の心境を明かした。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・砂坂美紀/全3回の3回目)
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アメリカへと渡ったのは、すでに欧州でのキャリアを積んだ30歳の時だった。1996年アトランタ五輪の女子サッカーでアメリカ代表が金メダルを獲得して以来、同国では“女子サッカー文化”が根付き、女の子の人気スポーツの一つとして親しまれている。
2017年、シカゴ・レッドスターズに加入した永里さんは、そこでまず驚かされたことがあった。
「アメリカはスピードが速いんです。プレースピードもそうだし、ゲーム展開のスピードも。ダイレクトに展開されるゲームが多くて、スピードについていくのが最初は大変でしたね。ヨーロッパのままのスピードだったら全然対応できなくて、アジャストするのに苦労しました」
ベテランの域に足を踏み入れ始めていた永里さんは、その壁を恐れず、向き合った。対応できない現実を突きつけられたからこそ、自身の肉体と向き合い、徹底的に“動き”を研究し始めた。
「アメリカでは、マックススピードを週に1回は測るんです。20、30メートルぐらい全力疾走して、時速何キロ出るかを計測して。最初、私はマックススピードが時速27.2キロで遅かったんですよ。でも、引退するころには時速29.8キロまで上がったんです。年を重ねるごとにどんどん足が速くなって」
30歳を過ぎてから足が速くなる。常識を覆す変化だったが、その裏には理由がある。
「トレーニングで無駄のない動きを目指して、効率的な動きをするトレーニングをしたからこそ、スピードが上がっていったんです。筋トレも1回やめて、体を自分で自由に使いこなせる、その身体操作術にフォーカスして。無駄のない動きを目指し、効率よく最大限のパワーを発揮する動きを習得していったからこそ、速くなりました」
体の変化に驚き「ここまでサッカーがうまくなれるなんて」
得点を重ねて、チームの中心選手として活躍。パフォーマンス向上のため、自分と向き合ってきた。ストイックなまでに身体を探究し続けた日々だった。
「ここまで自分の体が変わるなんて、正直思っていなかったし、ここまでサッカーがうまくなれることに、すごくびっくりしました。『もっといける』『もっと極めたい』『もっと先を見てみたい』……。自分の納得するサッカー選手の動きに少しでも近づきたかったし、このままやっていけば近づいていけるんじゃないかという確信が、どんどん大きくなっていったんです。だから、ラスト10年くらいは、ずっと自分の体を研究する楽しい日々でした」
彼女の変化は、心にも訪れていた。若いころは、自らを追い込むことが多かった。だが、キャリアの終盤では、責任を“引き受けすぎない”ことの大切さを知った。
「その楽しさがあったから、チームの勝ち負けやうまくいかないことなどに対して、入り込みすぎないようになりました。そこまで真剣に考えなくなって、ストレスがそこで軽減されていって。若いころは、負けた時やうまくいかなかった時、結果に対して入り込みすぎていたので」
サッカーはチームスポーツ。結果は自分一人のせいじゃない。そう考えられるようになってから、肩の力を抜けるようになった。
永里さんがキャリア終盤の大半を過ごしたナショナル・ウィメンズ・サッカーリーグ(NWSL)の環境は、アメリカ代表の2019年フランス・ワールドカップ(W杯)優勝を機に大きく変わった。「(2017年に)行った当初は全然、人が入っていなかった」が、世界一によって人気が高まり、さらにゴールデンボール(MVP)を獲得したミーガン・ラピノーのサッカー界を超えた発信力も話題となり、観客数も競技人口も増加して、さらなる発展を遂げたのだ。
「アメリカに来ちゃったらヨーロッパにはもう戻れないと思うぐらい、やっぱりプレーしていて気持ちいいですね。毎試合これだけ観客が入った中でプレーすることで、引き出されるパフォーマンスもやっぱり違うし」
2020年にコロナ禍でNWSLの試合が休止になった際は、男子チームへの挑戦も果たす。「ずっと男性の中でサッカーをやりたかった」と語る彼女は、はやぶさイレブン(現・厚木はやぶさFC/当時は神奈川県リーグ2部)に加入した。常識にとらわれずチャレンジを続け、限界を設けず成長する。その決断はいつも周囲を驚かせるが、本人が考え抜いて行動に移していることばかりだ。
引退を決意したのは、心がピッチに戻ることを拒んだから
誰もが経験できないようなことに挑戦し続けたサッカー人生。引退を決意したのは、心がピッチに戻ることを拒んだからだった。
「スパっとは決められなかったんですよね。結構、悩んでいました。でも、9割ぐらいは『もうやめたい』って気持ちがあって。練習する気にもなれないし、(ピッチに)帰りたくなくて。『サッカーをもう1回やるのは嫌だ』という心境になっていました」
新しい監督のもとで出場機会をなかなか得られず、チームも成績不振が続いたことで、その監督が4か月で解任された。その後に就任した指揮官のもとで、永里さんは出場機会を得られるようになった。最後は「この人たちのために全力でやろう」と心から思ってプレー。そして、自身のゴールで幕を閉じたキャリアに、迷いはなかった。
なぜ、そこまでして苦悩を抱えながらもサッカーと向き合ってきたのか。
「結局、海外に行きたかったのも、親元から離れたかったという気持ちもあった。(妹の永里亜紗乃さんの付き添いのため)やりたくて始めたサッカーじゃなかったけど、最後まで責任を持って向き合わなきゃいけないという使命感みたいなもので、ここまでやってきました。自分の中で突き詰められるところまで突き詰められた感覚があったから、後悔はなく『サッカーありがとう』っていう感じです。ここからは自分の人生を生きます。サッカーから解放されて、本来の自分自身の状態で生きていきますという感覚です」
今年3月に現役を引退し、精力的に取り組んでいることの一つにメディア活動がある。現役時代から行っていたが、今は取材などに出かけられるようになり、より活動に広がりが出るようになった。
「自分が言語化することを通して、それに触れた人たちが考えるきっかけになったらいいなって。選手時代から感じていたんです。『現状のメディアの質では、見る人の理解や興味は深まらない』って。だから、自分が“発信する側”に回って、質の高いコンテンツを届けたいと思ったんです」
YouTubeなどのメディア活動のすべては、「見る人の質を高める」という一貫した理念のもとにある。「これからの夢は?」。そう問うと、永里さんは静かに笑った。
「なりたい自分って、実はあまりないんですよ。欲がないんです。全部、使い果たしたっていう感じ。まだ見つかっていないのかもしれないし、究極を言えば“世界平和”なんです。そこに向かって、自分にできることをやっていくっていう、ただそれだけです」
ピッチから離れたいま、誰かに届く言葉を紡いで発信している。自分の経験が、誰かの未来を変えるきっかけになると信じて。
(砂坂美紀 / Miki Sunasaka)





















