移籍4か月でCL王者も「思い通りではなかった」 順風満帆に見えた15年間の海外挑戦は「ずっとしんどい」

ポツダム移籍は「誰も行っていないところに行きたい」から決断
元なでしこジャパン(日本女子代表)のエースストライカー・永里優季さんは、9月15日に自身が生まれ育った神奈川県厚木市の荻野運動公園陸上競技場で引退試合を行う。16歳でフル代表に初選出され、22歳で海外に渡り、日本人初のUEFA女子チャンピオンズリーグ(女子CL)制覇を達成。女子ブンデスリーガ得点王に輝くなど、ストライカーとして一時代を築いてきた。引退試合を前に「FOOTBALL ZONE」の独占インタビューに応じ、約15年間、海外を渡り歩いた経験をもとに日本の女子サッカー界へエールを送った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・砂坂美紀/全3回の2回目)
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16歳からなでしこジャパンで活躍してきたが、22歳で欧州へ。当時、決心した理由をこう話す。
「一番は代表チームを強くしたかったからです。『自分が点を取ってなでしこジャパンを勝たせたい』という思いが強くて。本当は北京五輪が終わった後にすぐ行きたかったんですけど、まだ大学生だったので。当時の(日テレ・ベレーザの)監督だった松田(岳夫)さんに『大学を卒業してからにしなさい』と説得されて、大学卒業のタイミングになりました」
もともと、海外志向はあった。永里さんは名門ベレーザの下部組織メニーナに12歳で加入すると、すぐに頭角を現して中学時代からトップチームとの二重登録となった。より高みを目指すために、海外でプレーすることは憧れであり、目標でもあった。
「中学1年生くらいの時に、『アメリカでプロ選手になりたい』と目標として思い描いてはいました。当時の日本ではプロ選手になれなかったので、澤(穂希)さんがアメリカでプレーしていて。プロリーグがあると知っていたのはアメリカだけだから、そう思っていました」
あえてドイツを選んだのには理由がある。
「アメリカには澤さんと(宮間)あやが行っていました。それで『誰も行っていないところに行きたい』と思って、ドイツにしたんです」
2010年1月、当時の女子ブンデスリーガ1部でもトップレベルのチームだった1.FFCトゥルビネ・ポツダムに移籍を決めた。シーズン途中の加入だったが、あまり情報もなかった。
「当時はポツダムを知っている人なんていなくて、私もドイツで一番のチームだったってことも知らなかった。インターネット上の情報も充実していなかったから、知る術がなかったんです。YouTubeでハイライトを少しだけ見られるぐらいの情報しかありませんでした」
実際に移籍してみると、大変なことばかりだった。ドイツだけでなく欧州でも頂点を狙うポツダムは厳しいクラブだった。時には4部練習をする日もあり、個別トレーニングを課されることもあった。
「ずっとサバイバルみたいで、孤独でしかなかったです。今となっては、そこでの生活があったから、孤独に慣れちゃったみたいなところはありますよね。当時は別につらいと思いながらやっていたわけじゃないけど、年を重ねて、いろんなチームを見ていると、あれは別格だったのがわかります(笑)」
移籍からわずか数か月で2009-10シーズンの女子CLを制し、初代チャンピオンに輝く。前身となるUEFA女子カップを含め、日本人として初の快挙だった。そして、翌年のドイツW杯でなでしこジャパンの一員として世界一に。ロンドン五輪では銀メダル獲得に貢献し、2012-13シーズンはブンデスリーガ得点王に輝いた。探求心に優れた永里さんは、課題を見つけてクリアし、努力を重ねて成長を続け、世界の女子サッカー界でも際立った存在となった。
「自分の思い通りにいくようなサッカー人生ではなかった」
その後もイングランドやオーストラリア、アメリカなど、現役を引退するまでに移籍を10回経験し、11チームでプレー。飽くなき向上心と探求心で技術を磨き続け、チームの中心選手として迎え入れられることが多かった。順調にキャリアを積んできたように見えるが、本人の感覚は少し違うようだ。
「私のサッカー人生はずっとしんどいんですよ。捉え方によるかもしれないけど、自分の思い通りにいくようなサッカー人生ではなかったとは言い切れますね(笑)」
少し自虐的に笑うが、どのチームでも結果を残しており、公式戦の通算成績は492試合出場222ゴールと、多くの得点を奪ってきた。
「最後までその結果に縛られるサッカー人生ではあったと思います。(ゴールを)決めないと評価されない、価値がない人間だって思っていたところから始まっているので。(年齢を重ねて)少しはそこを捨てた部分はあるんですけど、最後までちゃんと残っていたからこそ、なんだかんだ点は取ってこられた。そのために技術のレベルアップにもずっと取り組んでいたので、要所要所、良いタイミングでその成果が出せたサッカー人生だったのかなとは思います。それが1年に1回か2回あって、10年ぐらい続きました」
年齢とともにそのプレッシャーを少しは手放せたというが、芯の部分ではずっと“得点”への執念を抱き続けていた。
世界でプレーしたからこそ感じる、今のなでしこジャパンや日本人選手への提言
約15年間、世界を渡り歩いてプレーしてきた永里さん。今や彼女のように、欧米のクラブに所属する日本人選手は年々増加している。その先駆者としてアドバイスをするとしたら、どんなことだろうか。
「まずは、結果にこだわってほしいですね。自分に対して一つ課題を課して、結果にこだわると、一番大切なところが見えてくると思う。だからこそ自分のプレーの幅が広がっていく。メンタル的にも成長していけるので、こだわってほしいかな」
世界の女子サッカーの潮流も大きく変わっている。
「今のサッカーは、フィジカル能力がどんどん上がってきているのが現実です。今回のEURO(UEFA欧州女子選手権)も、運動量、フィジカルコンタクトのスキル、パワーがあって、戦術も一つじゃない。相手によって戦い方を使い分けられている。それを体現できる選手が揃っている。日本の選手たちはまだその“強度”の中で、自分の技術を発揮しきれていないように感じる」
実際、今年5月のブラジル戦や6月のスペイン戦でも、相手の強度の高さに押され、なでしこは自分たちのサッカーを出し切れなかった。
「強度の高い中で正確なプレーを出せるようになること。それが一番足りていない部分だと思います」
さらに戦術面でも、日本は「引き出しの少なさ」が見えると指摘する。
「例えば、サイドの選手が1人でキープできる力があれば、1本のロングボールで展開できる。いちいちつながなくてもいい。そういう“1人でなんとかできる”選手が増えれば、もっと幅が広がるし、本来の日本の良さも活きてくるんじゃないかなと思います」
厳しくも優しい目線で後輩たちにエールを送る永里さんは、自身のYouTubeチャンネルでの分析が人気となっている。世界の女子サッカーを経験したことを活かして、今後もさらなる活躍を続けていく。(第3回に続く)
(砂坂美紀 / Miki Sunasaka)





















