2050年までのW杯優勝…確率は「上がっていく」 育成年代で実感した「自分にしかできない」

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:廣山望(U-17日本代表監督)第5回
日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。
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FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。選手として5か国でプレーした廣山望は、スペイン・バルセロナへの研修を経て、2014年から指導者キャリアを本格的にスタートさせる。それ以来、一貫して育成年代を指導し、今年11月にはU-17日本代表監督としてU-17W杯の舞台に臨む。育成指導者として目指す先には、日本サッカー界が掲げる大きな目標があった。(取材・文=二宮寿朗/全5回の5回目)
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南米から欧州へ。
日韓W杯が終わり、半年間プレーする機会を得られなかった廣山望にようやく光明が差す。ポルトガル1部ブラガへの移籍が決まったのだ。
だが光は、一瞬だった。
怪我によって大幅に出遅れてしまう。開幕から2か月後にポルトガル1部でのデビューを果たすものの、持ち前のスピードを活かせず本調子にも届かなかったことで出番が減っていく。結局はリーグ戦8試合の出場にとどまり、契約更新には至らなかった。
2003-04シーズンに在籍したフランス1部モンペリエでは良いスタートを切り、2003年10月に行われたジーコジャパンのチュニジア、ルーマニア遠征に招集された。だがフランスでも怪我が響き、定位置獲得とはならなかった。それでも道を切り拓いたことに意義がある。ポルトガル1部もフランス1部も日本人選手として初めての出場となり、その後多くの日本人プレーヤーが続くようになるのだから。
「ポルトガルにはカーボベルデ、アンゴラといったつながりの強いアフリカの国々の代表選手が結構いて、ここを入り口にステップアップしていこうとする。フランスはそのアフリカを含めていろんな国から選手や監督が出入りしているリーグ。ヨーロッパのサッカーの歴史、サッカーの質を知ることができました。当時、フランスは代表チームももの凄く強かったし、国民の(ジネディーヌ・)ジダンへの尊敬の念というのも伝わってきましたね。スペイン代表だろうが、ドイツ代表だろうが、絶対に負けないみたいな雰囲気がありました」
現役キャリアの最後に渡った米国で得た学び
欧州のサッカー文化を肌で感じ取れたことが、彼の大きな財産になったのは言うまでもない。2シーズンを欧州で過ごした後、廣山は2004年8月、27歳でJリーグに復帰する。東京ヴェルディ、セレッソ大阪、ザスパ草津(現・群馬)を経て、2011年にはアメリカに渡ってMLS下部に位置づけされる独立リーグ(ユナイテッドリーグ)のリッチモンド・キッカーズと契約。ここでは副業を持つ選手が多くいたという。南米、欧州、そして日本とはまた違う世界が広がっていた。
「リーグの運営もすごく合理的なんですよ。アウェーに行ったら、そこでもう2日連続で試合をやっちゃうとか、移動にかかる負担を考えると確かにそっちのほうが得ではある。あまりに割り切りすぎなんですけど、意外にやれちゃったりする。自分のこれまでの価値観ではあまり受け入れられなかったことも、トータルで考えると何かアメリカって説得力があるんですよね。世界からあらゆる人種が集まっていて、アメリカで働きたいからと言ってプレーする選手もいて、それぞれに目的も考え方も違う。そのなかでサッカーをする、アメリカで生活するというのも自分にとってはかなり貴重な経験になりました」
現役引退後は指導者に転身することを決めていた。オフにはリッチモンドが力を入れている育成事業にも参加し、アンダー世代のアシスタントコーチを務めた。2シーズン目に入ると、主力として活躍しつつ、育成と普及の現場を本格的に学ぶこともできた。最初は「まったく興味のなかった」アメリカ挑戦だったが、物事を多角的に眺める目をさらに養うことのできる場となった。
2012年に現役キャリアを終え、翌13年にはJOCの海外指導者派遣制度を利用してバルセロナに留学する。毎日が刺激の連続であった。
「指導者経験を積む前にスペインに行って、あの環境に触れられたのは本当に良かった。指導者がどう成長していくか、そのシステムが整備されていました。バルセロナやエスパニョールといった1部リーグのクラブの育成現場でも、ほかに職業を持つ指導者は多い。どういう指導をしているか、どういうサッカーをしているか(指導者に対する)評価基準がしっかりしているので、チームを強くしている指導者は引き抜かれて、セミプロからプロになっていくんです。才能を逃がさないシステムができ上がっていました。
(12、13歳以下の)インファンティルのあるチームに、評判の高い指導者がいると聞いて実際試合も面白かったので、1か月ほど研修させてもらったことがありました。試合、修正、練習、また試合という流れを見せてもらって。試合でも当時、久保(建英)選手がいたバルセロナを封じ込んでいたんですよね。僕が日本に帰国すると、その指導者はバルセロナに引き抜かれていました。指導者が成長していくためには何が必要か、指導者としてどう生きていくか、スペインでの経験が僕の土台になっています」
廣山が学んだ「評判の高い指導者」とは、現在フランス1部トゥールーズの監督を務めるカルレス・マルティネスだという。欧州ではどんな指導者が評価されるかを自分の目で確かめることができた。
「JFAの約束2050」が一番のモチベーション
帰国後の廣山はJFAアカデミー福島U-15のコーチに就任し、指導者キャリアを本格的にスタートさせる。
教えるというより、促していく指導。当てはめるというより、人それぞれに合わせたオーダーメイドの指導。現役時代に世界を渡り歩き、アメリカ、スペインの育成にも触れた経験を軸に、アカデミーでの実体験によって自分のやり方を積み上げていく。
2019、20年にU-15、U-16、U-17日本代表コーチ、以降はU-15日本代表監督、U-16日本代表監督を務め、現在はU-17日本代表監督として指揮を執る。今年2月、サウジアラビアで開催されたU-17アジアカップで8強に進出し、11月に行われるU-17W杯(カタール)出場権を手にした。
U-17W杯予選を兼ねたアジアカップは、本大会へのアジア出場枠が「4」から「8」に増えたことで各国のモチベーションが上がり、中2日、高地という条件のなか厳しい戦いを強いられた。準々決勝ではホスト国のサウジアラビアにPK戦の末に敗れている。この悔しさが本大会に向けた肥やしとなることを、廣山は期待している。
「どのチームも1つ勝ったら一気にU-17ワールドカップが近づくので、最初から(勝利を)狙ってくるチームもあれば、1試合終わって目の色を変えてきたチームもあって、これまでの大会とは温度差が違っていたのは正直な感想としてあります。そういった相手としっかり組み合って、メンタリティを含めて足りないところを感じながら出場権を勝ち取ったところは、選手にとって成長になるヒントをたくさん拾えたのかなとは思います。ただ、足りないところを感じながらも優勝するというのが、日本の使命であることも理解しています」
選手たちの先を見ながらも、目の前の結果にもこだわっていく。育成に携わる指導者として、廣山が目指しているものは何か――。
「JFAは2050年までにワールドカップを日本で開催し、その大会で優勝するという『JFAの約束2050』を掲げていて、僕の一番のモチベーションもそこにあります。U-15からU-17あたりの選手がメンタリティを変えて、大きく成長して、その割合を増やしていくことをやり続けないといけない。割合が増えていけば、やり続けていけば、僕は(優勝の)確率は上がっていくだろうなという手応えがあるんですよね。育成に関われて、自分にしかできないことが必ずあると信じてやっているし、その仕事の精度をどれだけ上げられるかっていうところにやり甲斐をすごく感じています」
育成年代での成長が、すなわちA代表の未来に直結する。先駆者であり開拓者、廣山望の旅に終わりはない。
2050年までのW杯優勝を目指して――。
(文中敬称略)
■廣山 望 / Nozomi Hiroyama
1977年5月6日生まれ、千葉県出身。習志野高校から96年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)に加入し、1年目から主力として活躍。2001年にパラグアイのセロ・ポルテーニョへ移籍すると、日本人として初めてコパ・リベルタドーレスに出場した。その後はブラジルを経て欧州へ渡り、ブラガではポルトガル1部で、モンペリエではフランス1部でプレーした初の日本人選手に。キャリア最終年には米USLリッチモンド・キッカーズに所属した。現役引退後は1年間、スペインに指導者留学。帰国後は育成年代の指導に携わり、現在はU-17日本代表監督を務め、チームを11月のU-17W杯出場に導いている。
(二宮寿朗 / Toshio Ninomiya)
二宮寿朗
にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。





















